青木光一
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青木 光一(あおき こういち、1926年2月17日 - )は、日本の歌手。日本歌手協会会長。「柿の木坂の家」など、多くの大ヒットを飛ばし、人気アイドルとして昭和時代中期の日本歌謡界に君臨した。2006年には80歳を迎えるが、日本歌謡界の重鎮としていまだに現役で活躍している。佐賀県唐津市出身。青木はるみは実妹。
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[編集] 経歴
- 満州で育つ
- 1944年 奉天中央放送合唱団に入団
- 1945年 関東軍に入隊。敗戦でシベリアに抑留される
- 1949年 シベリアから命からがら帰国
- 1950年 「きらめくスバル」で歌手デビュー
- 1953年 「元気でね、左様なら」でブレイク
- 1955年 「小島通いの郵便船」が超大ヒット。この年から紅白歌合戦に連続出場(1960年まで)
- 1957年 「柿の木坂の家」が空前の大ヒット
- 1983年 日本歌手協会理事に就任
- 1985年 日本歌手協会常任理事に就任
- 1995年 日本歌手協会理事長に就任
- 1999年 第40回日本レコード大賞功労賞を受賞
- 2003年 日本歌手協会会長に就任
- 2004年 コロムビアミュージックエンタテインメントより「青木光一全曲集」をリリース
- 2005年 自宅が4人組のコロンビア人の襲撃をうけ、現金5万8000円と46万円相当の腕時計や商品券などを盗まれた
[編集] ディスコグラフィー
- 「さらば青春」
- 「早く帰ってコ」
- 「ぐみの木峠」
- 「青春パソドブル」
- 「カチューシャ」
- 「新吾十番勝負」
- 「サーカスの唄」
- 「僕は流しの運転手」
- 「ふるさと列車」
- 「おふくろさんは達者
[編集] おもな受賞歴
- 芸能新聞人気投票新人賞(1950年)
- 第40回日本レコー大賞功労賞(1999年)
- 第38回日本作詩大賞特別賞(2005年)