飛鳥京
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飛鳥京 (あすかきょう、あすかのみやこ) は現在の奈良県高市郡明日香村一帯にあったと想定される古代都市の、主に飛鳥時代のものを指し示す名称。
飛鳥時代の多くの期間は、この地域に天皇 (大王) の宮が置かれており、今日的にいえば日本の首都であった。そのことを示して飛鳥「京」という名称が用いられる。
後の時代の藤原京 (や平城京等) のように全体的に計画されて作られたものだとは考えられおらず、また、発掘調査など考古学的な成果においても全体像を明らかにするにいたっておらず、地理的な範囲など「飛鳥京」が指し示すものの実態は必ずしも明確ではない。そのためか、歴史学や考古学的な文脈においても、飛鳥時代あたりの飛鳥を指すのに「飛鳥京」という名称が必ずしも使われているわけではない。このような点については藤原京以降の「~京」と呼ばれるものとは対照的といえる。ただし、飛鳥の街に対して「京」の字を使った表記は近年になって作り出されたわけではなく、古くは日本書紀においても「倭京」や「古京」と表記される例がある。
遺跡との関連においては、明日香村に飛鳥京跡と呼ばれる遺跡があるが、飛鳥京跡が文字通り飛鳥京の遺跡と考えられるものと等しいわけではないことに注意が必要である。明日香村には飛鳥京を構成していたものだと考えられる遺跡は多数あるが、それらは
- 島庄遺跡、石神遺跡、水落遺跡 など遺跡の存在地の字 (あざ、大字の場合も小字の場合も) を冠するもの
- 雷丘東方遺跡、甘樫丘東麓遺跡 など遺跡の存在地を他の地理的名称から示したもの
- 川原寺跡、飛鳥寺跡 など建造物に由来するもの
- 飛鳥池遺跡、飛鳥京跡苑池遺構 など遺跡の機能や形状を示したもの
などがあり、命名には特に規則性は無いようである。
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