利用者:Chuta
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[編集] 項目
- 興味あるもの
- 加筆した記憶のある項目
- ゴシック、ルネサンス、マニエリスム、レオ10世 (ローマ教皇)などローマ教皇、人文主義者、フィレンツェ公会議、メディチ家、パトロン、 美術史、歴史学、日本の文化、東山文化、鹿鳴館、東京大空襲、恋のから騒ぎ、電車男、ユリシーズ、失われた時を求めて、谷崎潤一郎、永井荷風、小山内薫、カフェー、サロンなど
- 難しい項目
[編集] 単なる個人的感想
- 「これが正しい」と一方的に決め付けられることには何とか反対したい。
- 「これは間違っている」と確信し、反対の意見を主張したところ、「それも『一方的な決め付け』ではないか」と苦情を言われたことがある。しかし、個人が勝手に述べているだけだから別に苦情を言われるようなものではなかろう。
- どうでもいいような瑣末な事柄(トリビア)に拘る向きが多いのではないか(例えば、某番組のクレジットがどうのこうのといった事柄)。記事全体のバランス(及び他の事項への影響の程度など)を考えて記述するべきではないか。
- スタッフ名の羅列について
- さほど有名でないTV番組スタッフを羅列する項目に疑問を覚える。自分が加筆した項目の場合はスタッフ名を削除することがある。(根気がないので、あらゆる項目をチェックするようなことはしない。気になったところだけ直す)
- 著書の羅列について
- 書誌をやっている訳ではないので、むやみに著書を羅列するのは疑問。記事を充実させるべきである。
- くだらない項目や説明について
- 余りにも内容のない項目(及び項目には意義があるが余りに瑣末に囚われた説明)について、「下らない」と言う位の自由は認めてほしいものだと思う。(とは言っても、余程ひどいと思った場合以外は黙っていることが多い)
むやみに羅列したがる人が多いように思われる。物事を単に羅列するだけでは、本質に至ることはできないのではないだろうか。
[編集] 現在の疑問
- 例えば慶応2年12月25日はグレゴリオ暦1867年1月30日に相当するが、一般に慶応2年は1866年である。従って慶応2年(1867年)12月25日ではなく、慶応2年(1866年)12月25日と書くべきではないか(??)
- 過去ログを別に保管する方法:例ノート:建築家/過去ログでよいか?
- Template:過去ログの方がよいか。→この方法では、いったん過去ログとされた部分を修正することができない、というか間違って消されてしまうことがありそう?(Wikipedia:井戸端#過去ログ)
- Wikipedia:履歴
- Wikipedia:削除依頼 - やり方が難しい。毎回悩む。
- 利用者‐会話:Chuta/プライバシーを理由にした削除事例など とりあえず削除(存続)された事例をまとめてみたもの。
[編集] はてな
- お台場- 「「お台場」は「砲台場」が訛ったものだという」
- ジョルジョーネ - 「最新の研究では1人の人物が描いた作品とするより、異なった時代に複数の人物により上書きされている作品として認識されていることが多いようである。」
- ミケランジェロ・ブオナローティ - 「尚4作目の「ロンダニー二のピエタ」は、晩年の頃に盲目で手探りの中で制作しようとした未完成品である。」
- 寛政の改革 - 「贈収賄は江戸時代全体を通じた社会問題であり、当の定信自身も手を染めていた事であった」