Colossus
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Colossus(コロッサス、本来の意味はロードス島の巨像の名)は、第二次世界大戦の期間中、ドイツの暗号通信を読むための暗号解読器としてイギリスで使われた初期のコンピュータである。Colossus の用途は限定されていたものの、世界初のプログラム可能なデジタル電子計算機である。
Colossus は、英国中央郵便本局研究所の技術者 Tommy Flowers が設計した。プロトタイプの Colossus Mark I は 1944年2月、Bletchley Park にて動作した。改良版の Colossus Mark II は 1944年6月に完成し、戦争が終わるまでに 10台の Colossus が製造された。
Colossus は Lorenz SZ40/42 という機械を使って暗号化されたテレタイプ端末のメッセージを解読する際に使われた。Colossus はふたつのデータ列を比較し、プログラム可能な論理演算を行う。一方のデータは紙テープから高速に読み込まれ、もう一方は内部で生成される。そして、様々な設定で Lorenz マシンのエミュレーションを電気的に実行する。ある設定での演算が所定の閾値を越えると電気式タイプライタにその結果を出力する。
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[編集] 目的と起源
Colossus は、Lorenz SZ40/42 によって暗号化されたドイツの通信メッセージを解読するために使われた。Colossusの仕事の一部は Lorenz マシンの機械的機能を電気的にエミュレートすることであった。Lorenz マシンでのメッセージの暗号化手順は、平文と一連の鍵ビットと結合させ、5つに分割する。鍵ビット列は12個のピン歯車で生成する。このうち5個の歯車は(イギリス側で)Χ(chi)ホイールと呼ばれ、別の5個は Ψ(psi)ホイールと呼ばれた。残り2個は駆動用歯車である。Χホイールは暗号化された文字毎に規則正しく回転し、Ψホイールは駆動用歯車によって制御されて不規則に回転する。
Bletchley Park の暗号解読士 W.T. Tutte は、そのマシンが生成する鍵ビット列は、統計的に見て純粋な乱数からはずれた偏向を示していることを発見し、その偏向が暗号を解読してメッセージを読むのに使えると考えた。メッセージを読むためには、ふたつの仕事を実行する必要があった。第一の仕事は「歯車のパターン解読」つまり全ての歯車のピンのパターンを発見することである。それらのパターンは Lorenz マシンを設定変更するまでに一定期間、複数の異なるメッセージの送信で使われていた。第二の仕事は、発見したピンのパターンに基づいて「歯車を設定する」ことである。各メッセージは歯車の異なる位置から暗号化を開始される。「歯車を設定する」とは、あるメッセージの歯車の開始位置を探すことである。当初、Colossus は「歯車の設定」に使われたが、後に「歯車のパターン解読」にも使えることがわかった。
Colossus は、Bletchley Park の Lorenz マシンに対する機械的手法を研究した Newmanry(数学者 Max Newman が指揮する部門)が運用した。
Colossus は Heath Robinsonと呼ばれる特殊用途の光学機械式比較器を開発するプロジェクトからの派生として開発された。Heath Robinson で問題となったのはふたつの紙テープの同期をとる方法である。一方の紙テープは暗号化されたメッセージをさん孔されており、もう一方は Lorenz マシンのホイールによって生成されたパターンを示している。これを一秒間に1000文字読むようにしたところ、テープがずれて計算が不安定になってしまった。このため、Colossusでは一方の紙テープを電気的に再生することで問題を解決した。残った紙テープはもっと速い速度で読み込むことができるようになり、より安定した計算ができるようになった。
[編集] Colossus の開発
Tommy Flowers はエニグマを解読する機械製作の補助をする技術者として英国中央郵便本局研究所に派遣され、Colossus の製作に10ヶ月を費やした。Mark I の設計は 1943年2月に開始され、Bletchley Park で製作されて試験運用が開始されたのが1943年11月8日である。そして 1944年2月から Colossus は暗号解読士らに使用された。その後 9台の Colossus Mark II が 1944年6月以降、順次使用された。終戦時には11台の Colossus が組み立て中であった。(訳注:エニグマが携帯型の暗号作成器だったのに対して、Lorenz はテレタイプで使うことを前提とした組み込み用の機械であり、暗号もエニグマより高度だった。)
Colossus Mark I は 1500本の真空管を使用している。ちなみに、他の初期のコンピュータ Manchester Mark I は 4000本、ENIAC は 18000本使用している。
Colossus は電気的に歯車パターンを生成することで第二の紙テープを不要とし、一秒間に5000文字を処理することができた(紙テープでは 12mぶん)。Colossus Mark II は改良されて操作が簡単になり、大部分が手作業だった暗号解読を劇的に高速化した。
Colossus には世界初のシフトレジスタとシストリックアレイが使われている。さん孔テープ上の5チャネルに対応して、最大100回の論理演算から構成されるテストを5つ並行して実施できる(ただし、通常 1回の走行では1~2本のチャネルだけを調べた)。
当初 Colossus は与えられたメッセージの最初の歯車の位置をつきとめるために使われた(「歯車の設定」)が、Mark II はピンのパターンをつきとめる(「歯車のパターン解読」)のを助けるための機構が含まれていた。どちらの機種もスイッチとプラグ盤を使ってプログラム可能であり、これは Robinson には無い機能である。
[編集] 設計と操作
Colossus は先端技術であった真空管、サイラトロン(熱陰極格子制御放電管)、光電子増倍管(紙テープ読み取りに使用)を使っている。そしてプログラムされた論理関数を各文字に適用して、どれだけ "真" が返ってくるかをカウントする。真空管は故障しやすかったが、故障は電源のON/OFF時に起きるので、Colossus マシンは一度電源を入れたら終戦まで電源を入れっぱなしにして使われた。
Colossus のプログラム機能は限定されたものであったが、世界初のプログラム可能な電子デジタルマシンであった。しかし、真の汎用コンピュータとは言えず、アラン・チューリングが同じ Bletchley Park で働いていたにも関わらず、チューリング完全ではない。当時、チューリング完全が重要ということは分かっていなかった。これは当時の多くのコンピュータも同じである(例えば、ABC、電気機械式リレーマシンのHarvard Mark I、ベル研究所のリレーマシンなど)。汎用マシンとしてのコンピュータという概念、そして難しいが単純な問題を解くだけの単なる強力な計算機械ではないコンピュータ、が登場するにはあと数年を要する。
[編集] 影響とその後
Colossus の用途は国家機密であったため、その存在も戦後何年も極秘扱いのままだった。したがって、コンピュータ史に Colossus が出てくることも無く、Flowersらも口を噤まなければならなかった。
広く知られなかったため、直接影響を受けて開発されたコンピュータも少ない。EDVACは初期の設計としては最も後世のコンピュータ・アーキテクチャに影響を与えたと言えよう。
しかし、Colossusで培われた技術、特に信頼性のある高速電子デジタル計算デバイスはイギリスでの初期のコンピュータの開発に大きな影響を与えた。Colossus 開発に関係した人々は当然その大きな役割を理解していた。1972年、Herman Goldstine(ENIAC開発者の一人)は以下のように記している。
- 「イギリスでは戦後間もなく、よく考え抜かれた様々なコンピュータ関連のプロジェクトが開始されている。」The Computer from Pascal to von Neuman (pp. 321)
これを書いたとき、Goldstine は Colossus のことを知らなかった。それらのプロジェクトに Colossus の技術を持ち込んだ人々には、アラン・チューリング、Max Newman、I.J. Good(Manchester Mark I他)などがいる。Brian Randell は後にこう記している。
- 「COLOSSUSプロジェクトはこの活力の重要な源であった。全く賞賛されることはなかったが、デジタルコンピュータの発明の歴史上、大きな意義を持っている。」The COLOSSUS(pp. 87)
ウィンストン・チャーチルは Colossus を手のひらより小さい破片に破壊するよう特別に命令した。Tommy Flowers は青写真を暖炉で燃やした。いくつかの部品は引き抜かれ、Newmanが マンチェスター大学の計算機研究所に持ち込んだ。Colossus Mark I は撤去され、その部品は中央郵便本局に返却された。しかし、2台の Colossus は英国政府通信本部が 1952年に Cheltenham に移転したとき Eastcoate で保管された(Smith, Station X, chapter "The End of Station X")。 Horwood(1973年)は「終戦に伴って特定用途向けに設計されたマシンは消えたが、成功したマシンの本質と信頼性は、その後の類似のマシンの開発に生かされた。」と記している。Copeland(2001年)は「最後の Colossusは1960年まで動き続けたと考えられる。最終的には訓練目的で使われていた。」と記している。
Colossusに関する情報は1970年代後半に開示され始めた。もっと最近になってTunny暗号(Lorenzマシンの生成する暗号)とその解読に関する500ページの技術リポート General Report on Tunny が英国政府通信本部から国立公文書館に2000年10月に引き渡された。その内容はオンラインで閲覧が可能で [1]、それには共に働いた暗号解読士の Colossus への賞賛の言が載っている。
[編集] 復元
2003年3月、Tony Sale 率いるチームが Colossus Mark II のレプリカを組み立てた。イギリスの Milton Keynes にある Bletchley Park Museum に展示されている。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- Harvey G. Cragon, From Fish to Colossus: How the German Lorenz Cipher was Broken at Bletchley Park (Cragon Books, Dallas, 2003; ISBN 0974304506) – Tunnyによる暗号解読についての詳細と Colossus についてのいくつかの詳細 (細かな間違いがある)
- Tony Sale, The Colossus Computer 1943–1996: How It Helped to Break the German Lorenz Cipher in WWII (M.&M. Baldwin, Kidderminster, 2004; ISBN 0947712364) – 薄い (20ページ) 小冊子。下記の筆者によるサイトと同じ内容を含む
- Michael Smith, Station X, 1998. ISBN 0330419293.
[編集] 外部リンク
いずれも英文。
- Tony Sale's WW II Codes and Ciphers Colossusに関する多くの情報を含む
- Colossus の復元に関するBBCのニュース(2004/6/1)