DC-2
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ダグラスDC-2は、アメリカのダグラス社が開発した全金属製のプロペラ旅客機・輸送機である。1934年に初飛行した。14座席、双発。
ボーイング247の対抗機として開発され、所期の成功を収めたが、それ以上に世界的ベストセラー機DC-3の母体となった機体として重要な存在である。
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[編集] 開発の経緯
1931年3月、TWAのフォッカーF-10輸送機の事故は、有名なフットボール・チームのコーチを犠牲にしたこともあって社会的な波紋は大きく、木製構造の旅客機の安全性に疑いを抱かせるものになった。全金属製の航空機への変更は各航空会社にとって必須になった。
ユナイテッド航空はボーイング社との協力で、全金属製モノコック構造の近代的高速双発機・ボーイング247を開発し、アメリカの航空界をリードした。
ライバルのTWAもボーイング247の購入を希望したが、ボーイングは協力企業であるユナイテッド航空を優先する方針を採った。ゆえにTWAは他社から全金属製新型機を調達せざるを得なくなった。
[編集] 試作機DC-1
それまで旅客機製造の経験のなかった新興メーカーのダグラス社が、TWAのオファーに応じて開発に着手した。設計には、ジェームス・キンデルバーガー(後のノースアメリカン社長)や、ジャック・ノースロップなどがあたった。彼ら有能な技術者の手腕もあり、開発は急ピッチで進められた。
ボーイング247に遅れること5ヶ月あまりの1933年6月1日、原型機DC-1は初飛行した。 690hpのライトエンジンと、可変ピッチプロペラ、引き込み脚を装備する12座席の旅客機であった。その性能・機能において、多くの点でボーイング247を上回った。247より若干大きいサイズもさることながら、247の弱点である客室床面に張り出した翼の構造材が、DC-1では追放されてフラットになっていたことは、大きなセールスポイントであった(247の「出っ張り」には、スチュワーデスや乗客がしばしばつまづいて、不評の元だった)。DC-1はこの試作の1機が製作されたのみである。
[編集] DC-2
TWAは、DC-1のエンジンを強化し、機体長を18インチ延長して2座席増加の14座席にした機体を20機注文した。これが量産型のDC-2である。
DC-2は、TWAに続いて他の航空会社からの受注にも成功する。KLMオランダ航空に納入された最初のDC-2は、ロンドン-メルボルン間のマックロバートソン・エアレースに参加し、DH-88コメットについで2位に入りその飛行性能をアピールした。
DC-2は優秀機として市場から高く評価されたが、これをベースに機体サイズを拡大した後続モデルのDC-3が輸送力の面でDC-2以上の大幅向上を達成し、市場のニーズがそちらに移行したため、DC-2の生産数は156機にとどまった。
DC-2はアメリカ陸軍航空隊でも使用された。制式名はC-32(空中指揮機)、C-33(輸送機)、C-34(VIP輸送機)、C-38、C-39、C-41、C-42である。
[編集] 要目
- 乗員: 2-3
- 乗客: 14名
- 全長:19.1 m
- 全幅:25.9 m
- 全高:4.8 m
- 翼面積:87.3 m²
- 空虚重量: 5,650 kg
- 全備重量: 8,420 kg
- エンジン: 2 × ライト・サイクロンGR-F53
- 出力: 730 hp 540 kW
- 最高速度: 338km/h @ 2,070m
- 航続距離: 1,750 km
- 最高到達高度: 6,930 m