USAフォー・アフリカ
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USAフォー・アフリカ(USA for Africa)は1985年にアメリカのスーパースターが一堂に会したプロジェクトの名称。当時深刻化していたアフリカの飢餓救済のためのチャリティー・ソングである「ウィ・アー・ザ・ワールド(We Are The World)」をリリースした。
[編集] いきさつ
1984年、ボブ・ゲルドフの呼びかけでイギリスのスーパースターたちが集まり、アフリカの飢餓救済のためのプロジェクト「バンド・エイド」を結成。大きな話題を呼び、チャリティー・ソング「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」が大ヒットする。
これに触発された形でハリー・ベラフォンテがアメリカで同様のプロジェクトを作ることを提唱する。呼びかけたのはまずライオネル・リッチー。そこからマイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズら数々の大物アーティストが芋づる式に呼びかけに応じ、最終的に集まったアーティストは45人に達した(主な参加アーティストはウィ・アー・ザ・ワールドの項を参照)。もちろん無償である。
マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共同で曲を書き、プロデューサーのクインシー・ジョーンズの下、1985年1月28日にレコーディングが開始された。プロジェクトは「United Support of Artists」のイニシャルとアメリカ合衆国の略称とのダブルミーニングで「USAフォー・アフリカ」と名付けられ、3月8日、「ウィ・アー・ザ・ワールド」をリリース。世界的な話題を呼んだこの曲は瞬く間に世界各国でチャート1位を記録した。しかし日本では、通常盤と12インチ盤とで売り上げ集計が分散されたこともあり、12インチ盤が小泉今日子の「常夏娘」に阻まれオリコン週間シングルチャート第2位に終わった(通常盤と12インチ盤を合計すれば同チャート1位相当になる)。
「ウィ・アー・ザ・ワールド」はシングルとアルバムの両方がリリースされた。また2004年には制作ドキュメンタリー映像「We Are The World THE STORY BEHIND THE SONG」のDVDがリリースされている。
[編集] 影響
プロジェクトはポピュラー音楽界に一大チャリティー・ブームを巻き起こした。カナダからは「ティアーズ・アー・ノット・イナフ」、ドイツからは「ナハト・イム・ヴィント」、ヘヴィメタル界では「スターズ」などなど、数多くのプロジェクトとチャリティー・ソングが生まれる。ブームは同年夏に開催されたチャリティー・コンサート「ライブ・エイド」で最高潮を迎えた。
[編集] 逸話
- レコーディングは、多くのスターが集まるアメリカン・ミュージック・アワードの終了直後に行なわれた。
- しかし、そのせいか出演者達の間には当初、緊張感が少なく、この曲の持つ重要性を忘れ始めていた。しかし、このレコーディングに参加し、ライヴエイドの発起人であるボブ・ゲルドフがその緊張感の無さに大激怒。ゲルドフはアフリカで起こっている惨状を出演者達にとうとうと語り出した。結果、話が終わる頃にミュージシャン達の目の色は変わっており、中には涙を浮かべている者もいた。特にダイアナ・ロスは、その場に泣き崩れていた。
- その後のリハーサルで、「ブルース・スプリングスティーンやダリル・ホールの真剣さに圧倒された。」とゲルドフは語っている。
- ヒューイ・ルイスは、スケジュールの都合でレコーディングに参加できなかったプリンスの代役として呼ばれた。
- ボブ・ディラン、レイ・チャールズ、ブルース・スプリングスティーン、ジェイムズ・イングラムはオーヴァーダブである。
- クリストファー・クロスは「キム・カーンズが呼ばれたのに自分は呼ばれなかった」と不満を漏らしている。ちなみにクリストファーもキムも相前後してグラミー賞を取っているがその後目立ったヒット曲に恵まれなかった。