アイゼナハ
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紋章 | 地図 |
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基本情報 | |
連邦州: | テューリンゲン州 |
郡: | 郡独立市 |
緯度経度: | 北緯 50度58分34秒 東経 10度19分14秒 |
標高: | 海抜 220 m |
面積: | 103.84 km² |
人口: | 43,727 (2005年12月31日現在) |
人口密度: | 422 人 / km² |
郵便番号: | 99801 - 99817 |
市外局番: | 03691 |
ナンバープレート: | EA |
自治体コード: | 16 0 56 000 |
市の構成: | 11 市区 |
市庁舎の住所: | Markt 2 99817 Eisenach |
行政 | |
上級市長: | マティアス・ドート (Matthias Doht) (SPD) |
市長: | ウテ・リースケ (Ute Lieske)(無党派) |
アイゼナハ(Eisenach)はドイツ連邦共和国の都市。チューリンゲン州に属する。音楽家、ヨハン・セバスチャン・バッハの出生地としても知られる。同都市のヴァルトブルク城は、ユネスコの世界遺産に登録されている。人口は約4万4千人。(2004年9月)
目次 |
[編集] 地勢・産業
ネッセ川とヘーゼル川の合流地付近に位置し、古くより交通の要所であった。現在も、フランクフルト・アム・マインとライプツィヒを結ぶ鉄道網・アウトバーン網の中継地点に位置している。街の背後には、チューリンゲンの森(チューリンガーヴァルト)と称される山岳地帯が広がる。ドイツの他の森と同様、酸性雨などにより大きな被害を受けている。近隣の都市としては、約50キロ東にエアフルト、70キロ北西にカッセル、65キロ南西にフルダが位置する。
アイゼナハには、工業都市としての顔もある。旧東ドイツ時代には、高級車ヴァルトブルクの生産地であり、東西ドイツの統一後は、オペル社の自動車工場が置かれている。街には自動車博物館があり、こうした歴史を知ることができる。
[編集] 歴史
1067年、当時「王の道」と称された街道沿いに、ヴァルトブルク城が建てられた。13世紀初頭、この城の「歌人の広間」でミンネジンガー(吟遊詩人)による歌合戦が行われたとされ、リヒャルト・ヴァーグナーのオペラ「タンホイザー」の題材にもなっている。1283年、都市特権を獲得した。
歴史上、アイゼナハは宗教改革の推進者マルティン・ルターと関係が深い。1498年より、ラテン語を学ぶため学生としてアイゼナハに留まった。この時にルターが住んでいた家は、現在も保存されており、ルターの生涯と業績をたどる展示がある。1521年のヴォルムス帝国議会の決定により帝国追放となったルターは、ザクセン公フリードリヒの保護を受け、ヴァルトブルク城で新約聖書のドイツ語訳を行った。
1685年、この地でバッハが生まれた。彼はリューネブルクに移り住むまで、少年期をアイゼナハで過ごしていた。現在も、バッハの実際の生家ではないが、バッハ一族が過ごしていた家が保存されている。
1817年、ウィーン体制下で結成されていた学生組織であるブルシェンシャフトが、この地で宗教改革300年を祝った祭典を開いた。この祭典自体は、開催当初より政治的主張があったわけではなかったが、祭典中にドイツ・ナショナリズムに否定的な書物を焼き捨てるなど、一部の勢力が急進化した。こうした動きを懸念したオーストリアのメッテルニヒは、1819年にカルロヴィ・ヴァリ(チェコの都市、独語でカールスバート)でブルシェンシャフト弾圧の方針を固めた。
1869年、アウグスト・ベーベルらがマルクス主義的なドイツ社会民主労働党を結成した。この地で結成されたことからアイゼナハ派とも称される。1875年、約25キロ東のゴータで全ドイツ労働者協会(ラサール派)と合同してドイツ社会主義労働者党となった。この党が、1890年に改称してドイツ社会民主党となった。
[編集] 文化
ヴァルトブルク城以外の代表的な建造物としては、ロマネスク建築のニコライ教会、後期ゴシック様式のゲオルグ教会が挙げられる。19世紀に活躍したアイゼナハ出身の詩人、フリッツ・ロイターの住居が、ヴァーグナーの博物館として利用されている(ロイター・ヴァーグナー博物館)。
[編集] 姉妹都市
[編集] 外部リンク
- アイゼナハの公式ホームページ(ドイツ語)
- ヴァルトブルク城の公式ホームページ(ドイツ語、英語)
- アイゼナハに関連する壁紙集 (ドイツ語)