ヴァルトブルク城
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ヴァルトブルク城 (ドイツ) |
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ヴァルトブルク城 | |
(英名) | Wartburg Castle |
(仏名) | La Wartburg |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(iii),(vi) |
登録年 | 1999年 |
拡張年 | |
備考 | |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
地図 | |
ヴァルトブルク城はドイツのチューリンゲン州にある史跡である。アイゼナハ郊外の山上に位置する。1999年12月、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。漆黒の外見が特徴的である。
中世伝説であるタンホイザー伝承で歌合戦の舞台となった。歌合戦とは、12世紀のヘルマン1世(1190年-1216年)の時代に、この城の広間で盛んに行われた歌による合戦で、のち13世紀に入って「ヴァルトブルクの歌合戦」の題で歌集が編纂された。簡略に「歌合戦」と呼ばれることもある。この 黄金時代を回顧して数十年遅れで、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハやヴァルター・フォン・フォーゲルバイデなどが登場し、彼らの歌の世界を文学的に脚色して表現したものとして、後者の『パーシヴァル』や「ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン」などが現れてくる。アイゼナハの町人であるハインリヒ・フォン・オフターディンゲン(Heinrich von Ofterdingen)がハプスブルク家を称える詩を吟じたため負けるが、命乞いをしてクリングゾールに再判定を願いに出かける。この話は原型をほとんど留めない形でノヴァーリスによりデフォルメされ、『青い花』(ドイツ語題『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』(Heinrich von Ofterdingen))に採りいれられている。
聖女エリザベートがハンガリーから4歳で嫁いできた場所。
ヴォルムス国会の後、マルティン・ルターが隠れ住み、聖書を翻訳した場所としても知られている。ルターが悪魔にインク瓶を投げつけたためにできたという伝説で有名なインクの染みが今でも残っている。
この世界遺産は、世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
- (vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。
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