アラウカニア・パタゴニア王国
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標語: Independencia y Libertad (自由と独立) |
アラウカニア・パタゴニア王国(アラウカニア・パタゴニアおうこく Kingdom of Araucania and Patagonia)とは、1860年にフランス人の弁護士で冒険家のオルリー・アントアンが南アメリカ大陸の南部に建国した国家。
19世紀半ばに南アメリカ大陸の南部においては、原住民族のマプチェ族(Mapuche)がアルゼンチンとチリの進出に武装抵抗を行っていた。1860年にこの地を訪れたオルリー・アントアンは、マプチェ族に共感し、1860年11月17日にアラウカニアの独立宣言を行い、12月20日にはパタゴニアもその領域に含めた。彼は、その宣言の写しをチリの新聞に送付している。
マプチェ族はオルリー・アントアンの行動を理解し、彼を王に推挙した。その後、国旗として青・白・緑の三色旗が制定され、硬貨の鋳造も行われた。
オルリー・アントアンは、1862年にチリ政府に拘束され、フランスに追放される。1863年に回想録を出版した後、1869年にアラウカニアを再訪し1871年まで滞在している。その後、フランスに帰国し1878年に死亡した。
マプチェ族の領域は、チリ・アルゼンチン両政府の交渉と武力制圧により、1880年代頃に両政府の領土となった。