アルノー・クレマン
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アルノー・クレマン(Arnaud Clément, 1977年12月17日 - )は、フランス・エクス=アン=プロヴァンス出身の男子プロテニス選手。2001年の全豪オープン男子シングルス準優勝者。シングルス自己最高ランキングは10位。これまでにATPツアーでシングルス4勝、ダブルス5勝を挙げる。
オールラウンド・タイプの多いフランス人選手の中でも、クレマンはグラウンド・ストローカー寄りのテニスを展開する。特にバックハンド・ストロークが飛び抜けて強力で、またリターンにも優れたものを持っている。必ず頭に巻くバンダナと、テニス選手には珍しいサングラスが彼のトレードマークである。
1996年にプロ入り。クレマンが最初に世界的な名声を獲得したのは、2000年の全米オープン2回戦で第1シードのアンドレ・アガシを 6-3, 6-2, 6-4 のストレートで圧倒した時だった。2001年の全豪オープンで、クレマンは準決勝で同じフランスのセバスチャン・グロージャンと激突する。ダブルスでペアも組む親友を 5-7, 2-6, 7-6, 7-5, 6-2 の逆転で破って決勝に進出し、そこで再びアガシと顔を合わせた。この度はアガシが絶好調で、クレマンは 4-6, 2-6, 2-6 のストレートで完敗した。決勝戦の前には(対アガシ戦の)「勝ち方を覚えた」と意気込んだクレマンだったが、準優勝に終わった後は「きょうのアガシに勝つのは不可能」と話したという。当時30歳のアガシにとっては、これは15年間の現役生活を通じて初の4大大会連覇だった。
2004年の全仏オープン1回戦で、アルノー・クレマンは同じフランスのファブリス・サントロと「テニス史上最長試合」を戦った。試合時間「6時間33分」に及んだ死闘で、クレマンは 4-6, 3-6, 7-6, 6-3, 14-16 でサントロに敗れる。勝者のサントロは3回戦まで進出した。2006年2月、クレマンは地元フランス・マルセイユの大会で3年ぶりのツアー優勝を果たし、決勝でクロアチアのマリオ・アンチッチを破った。7月最終週にアメリカ・ワシントン大会の決勝で、クレマンはイギリスの新星アンディ・マレーを 7-6, 6-2 で破り、自身初のシングルス年間2勝を達成した。
フランスの男子テニス界は、1983年の全仏オープンで優勝したヤニック・ノアを最後に、4大大会で男子シングルス優勝者が途絶えている。1988年全仏オープンではアンリ・ルコントが決勝でマッツ・ビランデル(スウェーデン)に敗れ、1993年全米オープンと1997年ウィンブルドンの2度にわたり、セドリック・ピオリーンが決勝でピート・サンプラスに完敗した。そして2001年全豪オープンではクレマンがアガシに敗れ、ノア以来のフランス人男子選手による4大大会優勝者のチャンスを逃した。
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