エアダブリン
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1991年4月21日 |
死没 | (現役種牡馬) |
父 | トニービン |
母 | ダンシングキイ |
生産 | 社台ファーム |
生国 | 日本(北海道千歳市) |
馬主 | (株)ラッキーフィールド |
調教師 | 伊藤雄二(栗東) |
競走成績 | 15戦5勝 |
獲得賞金 | 3億3810万6000円 |
エアダブリンは、1990年代半ばに活躍した日本の競走馬。現在は韓国で種牡馬生活を送っている。
目次 |
[編集] 生涯
[編集] 競走馬時代
1993年10月9日に東京競馬場でデビュー。翌1994年4月30日、青葉賞を優勝し重賞初制覇。同年5月29日、ナリタブライアンが優勝した東京優駿で2着となり、陣営がステイヤーの素質を持つと明言したこと、さらに長距離のレースを得意とする岡部幸雄が主戦騎手を務めていたことから菊花賞で同馬の牡馬クラシック三冠達成阻止に挑む有力候補となった。
しかし11月の菊花賞では3着。翌12月には有馬記念への出走を避け長距離戦のステイヤーズステークスに出走し、3分41秒6のレコードタイムで優勝した。(このレコードは現在も破られていない。また芝3600mのレースはこのレースのみのため日本レコードでもある)翌1995年1月にも長距離戦のダイヤモンドステークスに優勝、続く天皇賞(春)ではナリタブライアンが故障を発症し出走しなかったこともあり1番人気に支持された。しかし結果は優勝したライスシャワーから0.5秒離された5着であった。
続く宝塚記念ではステイヤーであるエアダブリンは2200mという距離に対応できないとの予想が多かったが、レコードタイムで優勝したダンツシアトルから0.1秒差の3着と健闘した。
その後は屈腱炎を患い長期間の休養を余儀なくされた。1997年春に復帰し、宝塚記念出走を目指したが目黒記念出走後に再度屈腱炎を患い、競走馬を引退した。
[編集] 引退後
半妹のダンスパートナー、半弟のダンスインザダークがともにGIを優勝する活躍を見せ、エアダブリン自身の父がリーディングサイアーになったことのあるトニービンであったことから血統面を見込まれて種牡馬となった。
種牡馬となってからの4年間は毎年100頭以上の繁殖牝馬と交配されるなど期待されたが産駒は目立った実績を残すことができず、2002年の種付頭数は16頭に激減。翌2003年に韓国へ輸出された。
[編集] 種牡馬成績
[編集] リーディングサイアー
いずれの年も中央競馬のみの集計。
- 2001年 384位
- 2002年 146位
- 2003年 186位
- 2004年 152位
- 2005年 103位
[編集] 主な産駒
- エアウィード(2005青藍賞(岩手重賞)、2005北上川大賞典(岩手重賞)、2006シアンモア記念(岩手重賞))
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