オーギュスト・マルモン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オギュスト・フレデリク・ルイ・ヴィエス・ド・マルモン(Auguste Frederic Louis Viesse de Marmont 1774年7月20日 - 1852年7月22日)は、フランスの軍人、貴族、政治家。ナポレオン1世の下士官時代からの腹心の部下だったが、1814年に連合軍がパリに迫る絶望的な状況のなか寝返り、フランスを降伏に追い込んだ。ナポレオンは、このことを死ぬまで許さなかった。
[編集] 略歴
- 1774年 裕福な教育熱心の貴族の家庭に生まれる。
- 1792年 士官学校を卒業。18歳で少尉となる。
- 1793年 トゥーロンに派遣されナポレオンの副官となる。以後、付き従う。
- 1796年 イタリア戦役で数々の勝利を得る。
- 1798年 エジプト戦役で23歳で将軍となる。
- 1799年 ブリュメールのクーデタに参加。各部隊への根回しを担当した。
- 1805年 ヴュルテンベルクの攻防に勝利。
- 1806年 ダルマティアの総督になる。
- 1808年 帝国元帥に任命される(これまでの功績からみて随分遅かった)。
- 1811年 ポルトガル遠征総司令官になる。侵攻するが、結局翌1812年敗走する。
- 1813年 ライプツィヒの戦いで多くの部下を失う。以後は敗戦続きだった。
- 1814年 パリ防衛を任されていたが、圧倒的な敵軍の数の前にこれ以上の戦闘は無意味と考えて降伏。まもなく敵軍に合流する。その結果ナポレオンは退位し、島流しになる。王政復古後は、ルイ18世に仕える。
- 1815年 百日天下。ルイ18世とともにベルギーへ脱出。帰国後、近衛師団参謀長に任命される。
- 1821年 ナポレオンが流刑地で死去。遺書にはマルモンを許すと記してあった。
- 1833年 七月革命が勃発するとイギリスへ亡命した。以降は各地の旅行に明け暮れ、回顧録を執筆する。
- 1852年 死去。享年77歳。
カテゴリ: ナポレオン戦争のフランスの軍人 | 1774年生 | 1852年没