カリフォルニア電力危機
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カリフォルニア電力危機(カリフォルニアでんりょくきき)とは、2000年夏から翌年にかけてカリフォルニア州で、電力会社が十分な電力を供給できなくなり、停電が頻発した事態。
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[編集] 原因
1996年にカリフォルニア州で電力自由化が始まり1998年に小売りが自由化され、それらの政策の中に以下のようなものがあった。
- 発電会社と電力販売(小売)会社の分離が進められた
- 当面、電力会社の小売料金は凍結された
- 大手電力会社(3社)には、卸売市場からの電力調達を義務づけられた
小売料金の凍結の理由としては、自由化にはもともと小売価格上昇の可能性もあるため、消費者が強く求めたことなどが挙げられる。
[編集] 経緯
電力会社は、州の環境規制により環境負荷の少ない電力を一定量割高に購入する義務が課されていたため、自由化当初から経営上の負担を抱えていた。ITブームと好景気などにより、自由化以後のカリフォルニアの電力需要は事前の予想を上回ったが、発電事業者は州の厳しい環境規制のために高コストを嫌うなどして発電所新設に消極的であり、既存の発電設備の運転停止なども手伝って発電量の増加は電力消費量の増加より大きく下回った。
2000年の夏には、州外からの電力調達設備の設備不十分、天然ガス価格の上昇、猛暑など様々な要因も重なって電力卸売価格が上昇を始め、ピーク時は最高で7,500ドル/メガワット時にまでなった。これは、例えば消費電力1,200ワットのエアコン1時間分の電力の卸売価格が10ドル近いという状態であったが、電力会社は規制のためにこの卸売価格上昇を消費者に転嫁することができず、逆ざや状態が発生した。発電会社は利益増加のため、供給を抑えるとともに、長期契約より高値で売買できる短期の卸売に契約をシフトするなどの動きをみせた。この年の冬も厳冬で、電力消費は予想を上回った。
更に、後に明らかになったのだが、同時期にエンロンなどの電力取引会社によるモラルに反した価格引き上げを伴う取引もあった。電力会社からの代金回収が危うくなった発電会社は売り渋りも行うようになり、発電会社から十分な電力を調達出来なくなった電力会社は大規模な輪番停電を行うにまで追い込まれた。
電力会社は逆ざやで経営を急速に悪化させ、2001年4月には、大手電力会社3社の一つであるパシフィック・ガス&エレクトリック社が破綻することとなった。
[編集] 結果
この事態に、州政府は電力会社に代わり電気を購入することとなった。税金の投入による解決がはかられたこの年(2001年)の夏には冷夏で電力卸売価格が下落し、先渡し調達による損失まで出ている。2001年から州は、卸売価格の上限設定など制度改正を行った。
この電力危機にアメリカ経済の悪化も加わって州経済は悪化。2003年のカリフォルニア州知事リコールの原因の一つもなった。
このカリフォルニア電力危機は、電力自由化が、自由化しさえすれば良い(特に電力需要家にとってのコスト低下面)というものでは決してなく、方法によっては電力需要家の利益になるどころか極めて大きな負担ともなりうるという教訓を残した。カリフォルニア州の環境規制の厳しさなどの要因もあるが、電力販売側にのみ著しく強い規制を加えるなどのシステムの欠陥が指摘されている。日本の電力自由化にも、丁度制度の議論をしていた時期でもあって、大きな影響を与えている。