ゲルト・ミュラー
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ゲルト・ミュラー (本名:ゲルハルト・ミュラー Gerhard Müller, 1945年11月3日-) は、西ドイツ出身のサッカー選手。ポジションはFW。
ドイツ史上最高のストライカー。抜群の得点感覚とポジショニングで泥臭いゴールを得意とし、どんな体勢からでもゴールを奪った。驚異的な数の得点を量産し『デル・ボンバー(爆撃機)』と呼ばれた。
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[編集] プレイスタイル
観客からすれば面白いとはお世辞にも言えないプレーをした。ボール扱い、ドリブル、パスなどは高校生レベルだと話すドイツ人もいる程、下手であったと言われる。しかし、「ゴールへの嗅覚が鋭い」という表現があるが、正にその言葉が当てはまる選手。何故かゴール前の彼の所にボールが集まってくるのである。ミュラーは特にペナルティエリア内でゴールを背にし、相手DFにコースを消されているときでさえ、比類のないすばやさで下半身を反転させ、左右どちらの足からもグラウンダーのシュートをゴール隅にたたきこんだ。74年のW杯決勝、オランダ戦の決勝ゴールは、彼のプレーを凝縮したものといえる。また、決して高いとはいえない身長ながらも抜群のポジション取りによって、多くのヘディングシュートも決めることができた。「FWの仕事は得点を挙げること」を体現した史上最高のストライカーであった。
[編集] クラブ
1963年地元のクラブ・TSVネルトリゲンでデビュー。ここでの活躍がスカウトの目に留まり翌季にはバイエルン・ミュンヘンと契約。在籍15年間で4回のリーグ優勝(1969/72/73/74年)、7回のドイツ・ブンデスリーガ得点王(1967/69/70/72/73/74/78年)、チャンピオンズカップ優勝3回(1974/75/76年)、カップウィナーズ・カップ優勝1回(1967年)、ドイツカップ優勝4回(1966/67/69/71年)。
1979年ドイツを後にしアメリカへ渡り、フォートローダーデール、スミス・ブラザーズに所属したあと、1982年に現役を引退した。
引退後はアルコール依存症に苦しんだ時期もあったが、バイエルンのコーチなどもつとめた。
[編集] 代表
1966年10月12日 vsトルコ戦で代表デビュー、無得点に終わるが2戦目のアルバニア戦では4ゴールを挙げた。
1970年メキシコワールドカップでは10得点、1974年西ドイツワールドカップでは決勝戦オランダとの試合では決勝点を決め優勝、この大会4得点を挙げる。ワールドカップ通算14ゴールはブラジル代表のロナウドに次いで歴代2位の記録。
1972年欧州選手権でドイツ代表は優勝、ミュラーも4得点を記録し得点王に輝く。29歳で代表を引退。最後の試合は、上記の1974年決勝である。
[編集] 歴代最多得点記録
- ブンデスリーガ 365得点(427試合)
- ドイツ代表 68得点(62試合)
[編集] 所属チーム
- 1954-64年 TSVネルトリゲン
- 1964-79年 バイエルン・ミュンヘン
- 1979-80年 フォートローダーデール(USA)
- 1980-81年 スミス・ブラザーズ(USA)
先代: ジャンニ・リベラ |
欧州年間最優秀選手 1970 |
次代: ヨハン・クライフ |