サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
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サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 (スペイン) |
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サンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラル | |
(英名) | Route of Santiago de Compostela |
(仏名) | Chemin de Saint-Jacques-de-Compostelle |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(ii) (iv) (vi) |
登録年 | 1993年 |
拡張年 | |
備考 | |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
地図 | |
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(-のじゅんれいろ)は、主にフランスからスペインに跨る、キリスト教の聖地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラへと続く巡礼路を登録したユネスコの世界遺産(文化遺産)。申請はスペイン政府により行われた。
目次 |
[編集] 概要
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、フランスからスペインへと向かう、トゥールの道、リモージュの道、ル・ピュイの道、トゥールーズの道の主に4つの道からなる。キリスト教三大巡礼路の1つにも数えられている。
1993年、世界遺産として登録された。紀伊山地の霊場と参詣道と並び、世界でも珍しい道の世界遺産としても知られている。
[編集] 歴史
元々、サンティアゴ・デ・コンポステーラに、聖ヤコブの遺骸が埋まっているという伝説がある。このため、9世紀ごろからこの地への巡礼があったと記録されている。11世紀にはローマ・カトリック教会が、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼を奨励。11世紀から12世紀にかけては、多い時で1日1,000人を越える巡礼者がいたと言われている。また、この巡礼は、当時イベリア半島を支配していたイスラム教王朝からの国土回復(レコンキスタ)にも大きな影響を与えたといわれている。
現在でも、この巡礼路を通って、サンティアゴ・デ・コンポステーラへと向かう人たちが多数存在する。徒歩、自転車、車などさまざまである。
[編集] 登録基準
この世界遺産は、世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例。
- (vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。
[編集] 巡礼路
- トゥールの道 - 起点オルレアン(Orleans)・パリ(Paris)
- サン・マルタン聖堂
- リモージュの道(サン・レオナールの道) - 起点ヴェズレー(Vezelay)
- リモージュ(Limoges、陶磁器の町)
- ル・ピュイの道 - 起点ル・ピュイ(Le Puy)
- トゥルーズの道(サン・ジルの道) - 起点アルル(Arles)