シャツ
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シャツ(英:shirt)は、上半身の体幹部に着用する衣類の一種。肌着として着用するもの(例:Tシャツ)と肌着の上に着用するもの等に大別されるが、クール・ビズの影響もあり肌着と上着の分類は曖昧になってきている。ただし、シャツ(ワイシャツ等)は元来下着に分類され、公式の場ではスーツ等の上着を着用するのが一般的マナーである。英語のshirtの語源は、古ゲルマン語のskurtaz(短く切る)である。たけが腰あたりまでしかない短めの衣類がこのように呼ばれており、skurtaz→scyrte(古英語)→shirte(中英語)→shirtと変化した。
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[編集] 歴史
シャツの起源は、古代ローマで着用されていたチュニックに遡るとされている。チュニックは、ひだ(スリット)の入った素材から成り、現代で言うワンピースのような形状の衣服であった。その後、両袖(そで)が付けられたものが着用されるようになったが、基本的に大きな変化がないまま中世に至った。
ヨーロッパ中世期には、ボタンや襟(えり)、袖口などが付加されるようになり、現代のシャツの形状に近づいてくる。当時、シャツを着用できるのは上流階級に限られていたとされている。また、シャツの前立ての男女差(男子用は左前、女子用は右前の別)も、この時期に由来すると考えられている。ルネサンス期になるとシャツの装飾化(フリルやスリットで装飾したシャツ)が貴族階級の間で流行した。
その後、シャツは簡素化への道を進み始める。フリル等の激しい装飾は次第に姿を消し、19世紀には現代シャツの形式がほぼ確立した。その背景には、ボタン使用の普及があるとされている。この時期に、シャツは上流階級だけでなく広く民衆が着用する衣服として定着していった。19世紀のシャツの特徴は多様な襟の形状が現れた点にある。それ以前は立ち襟が一般的だったが、非常に高い立ち襟が流行した後に、折り襟が初めて登場した。
20世紀に入ると、シャツの多様化が著しく進展した。シャツの種類の大部分は、20世紀以降に誕生している。現代では、ヨーロッパから発祥したシャツはほぼ全世界に普及し、人類の共通的な衣類となっている。
[編集] 種類
シャツの種類は非常に多い。目的用途に応じて種類を選択することが必要である。
- 正統的なフォーマルなシャツには、ドレスシャツ・ワイシャツ・カラーシャツ・タートルシャツ(タートルネックのシャツ)等がある。
- カジュアルでファッション性の高いシャツには、ボタンダウンシャツ・ポロシャツ・フランネルシャツ(ネルシャツ)・パターンドシャツ・ボディーシャツ(身体に密着するシャツ)・シースルーシャツ・スウェットシャツ・スモックシャツ等がある。
- 作業着として着用されるシャツには、ワークシャツ(作業用シャツの総称)・ファーマーシャツ(農夫向けシャツ)・ランバージャックシャツ(木材伐採向けシャツ)・ダンガリーシャツ(紺と白の綾織り綿シャツ)等がある。
- スポーツ・レジャー用として着用されるシャツには、スポーツシャツ・レジャーシャツ・フィッシングシャツ・アスレティックシャツ・アスコットシャツ等がある。
- 民族的な色彩の濃いシャツには、アロハシャツ(ハワイアンシャツ)・バロンタガログ(フィリピンの正装シャツ)・カーターシャツ(北部インドのシャツ)・ダシキシャツ(アフリカ民族風のシャツ)等がある。
- 肌着として着用するシャツには、Tシャツ、丸首シャツ、ランニングシャツ
等がある。 この他、カッターシャツ(襟とカフスが身頃に付けられたシャツの総称)、ブラウス(女性が着用するシャツ)などの種類がある。
[編集] 各部位
[編集] 身頃
体幹部を覆う部位を身頃(みごろ)という。前側を前身頃といい、背中側を後身頃という。ワイシャツ等では後身頃の上部(肩部)が別の布となっているが、これを肩ヨークという。肩ヨークから下に向かって折り目が付けられていることもあるが、これをターツという。
[編集] 前立て
前側のうちボタンで合わせる部位を前立て(まえたて)又はプラケットという。前身頃とは区分される。前立ては、機能性よりもファッション性から幾つかの種類に分かれている。前立て部分の布が表側に折り返されたプラケットフロント(通常の形式)、前立てが二重となってボタンを隠すフライフロントなどがある。
[編集] 襟
首の周囲の部位を襟(えり)又はカラーという。中世に首輪状の布が付加されたことに由来する。襟には、通常の形式のレギュラーカラー、両襟の開きが狭いナロースプレッドカラー、両襟の開きが広いワイドスプレッドカラー、襟の先端を前身頃にボタンで留めるボタンダウンカラーなどがある。
[編集] 袖
腕を覆う部位を袖(そで)という。さらに手首を覆う部位を袖口(そでぐち)又はカフ(カフスとも)という。カフもファッション性により幾つかの種類に分けられる。
[編集] 日本におけるシャツ文化
シャツは、江戸時代最末期~明治時代初頭の頃に日本へもたらされた。当時の日本人の一般的な服装は着物であったが、文明開化の名の下に(特に東京近辺において)洋装の導入が進み、シャツの着用も行われるようになった。ただし、民衆の一般的な服装はやはり和装であり、シャツ等の洋装を行う者は「キザ」「西洋かぶれ」というネガティブなイメージで見られていたようである。(夏目漱石の『坊っちゃん』にも嫌味な登場人物として「赤シャツ」が描かれている。)
その後、都市部では洋装が普及し、シャツの着用も一般的となっていったが、農村部においては太平洋戦争(大東亜戦争)期頃まで和装が普通であり、シャツはあまり普及していなかった。戦後は日本文化のアメリカ化が進み、農村部へもシャツを始めとする洋装が広がっていった。
日本における礼儀正しいシャツ(ワイシャツ(ブリーフが1935年に発明されるまでヨーロッパの男性では唯一の下着)からTシャツまで含む)の着用方法は、裾(すそ)をズボンの中に入れることとされている。裾をズボンの外に出すことは、元来下着であったため、カジュアルの場であっても非常にみっともないことと長らく考えられてきた。1980年代後期の頃から、カジュアルシーンにおいて、裾を外に出す着用形式が広まっていき、1990年代に入ると、カジュアルシャツ(ポロシャツやボタンダウンシャツ等)の裾を外出しすることは一般的となり、特にTシャツの裾をズボンの中に入れる形式はほぼ絶滅するまでに至った。しかし、2000年代には、股上の浅いパンツが増えたためか、また中に入れる形式がよく見られている。