ジェームズ・ポーク
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アメリカ合衆国 11代大統領 | |
任期: | 1845年3月4日 – 1849年3月3日 |
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副大統領: | ジョージ・ダラス |
出生日: | 1795年11月2日 |
生地: | ノースカロライナ州メクレンブルク郡 |
死亡日: | 1849年6月15日 |
没地: | テネシー州ナッシュヴィル |
配偶者: | サラ・チルドレス・ポーク |
政党: | 民主党 |
ジェームズ・ノックス・ポーク(James Knox Polk, 1795年11月2日 - 1849年6月15日)は、第11代アメリカ合衆国大統領。
目次 |
[編集] 生い立ちおよび政治経歴
ジェームズ・ポークは1795年にサミュエル・ポークおよびジェーン・ノックス夫妻の息子としてノースカロライナ州で生まれた。彼は1818年にノースカロライナ大学を卒業、弁護士になり政界に入った。ポークは下院議員(1825年 - 1839年)、下院議長(1835年 - 1839年)およびテネシー州知事(1839年 - 1841年)を務めた。
[編集] 指名と選挙
党推薦のマーティン・ヴァン・ビューレンがテキサス併合に対する反対を表明し、彼を大統領候補として承諾しがたい南部出身者およびアンドリュー・ジャクソン元大統領の人気を失った後、民主党は、党全国大会の第九回投票でダークホース、ポークを指名した。
手紙で指名のことを伝えられて、ポークは返答を書いた。
- 「衆目の的である大統領候補というものは求めるべきものではないし断るべきものでもない。私はそれを求めたことがない。また、指名が支持者の賛成投票によって与えられたものであるなら、私はそれを自由に断ることもできない。"It has been well observed that the office of President of the United States should neither be sought nor declined. I have never sought it, nor should I feel at liberty to decline it, if conferred upon me by the voluntary suffrages of my fellow citizens."」
しかしながら、ベテラン政治家のポークは、小さな知名度のまま1844年の大統領選挙戦に入った。彼の相対的な知名度をホイッグ党は「ジェームズ・K・ポークとは誰?」と攻撃した。
結局、ポークのキャンペーン政策は成果をあげた。1844年11月5日にポークはホイッグ党候補ヘンリー・クレーを破った。その選挙で選挙人団の投票クレイの105に対して170を彼は勝ち取った。一般投票はもっと接近しており、ポークはちょうど38,000票を得票した。
[編集] 大統領職
一期のみを務めるという決心の元に、ポークは彼の選挙公約を満たすために速やかに行動した。ちょうど4年で彼は、テキサス共和国の合併、イギリスとのオレゴン境界論争の解決、独立した財務システムの再建、メキシコからカリフォルニア、ニューメキシコ、アリゾナ、ネバダ、ユタ、コロラドの一部分およびワイオミングの領域を獲得した。旧メキシコの土地は、米墨戦争後のグアダルーペ・イダルゴ条約の結果として獲得した。
ポークの多大な政治的業績は彼の健康に悪影響を及ぼした。大統領就任時は精力的であったが、その職で疲れ果てポークは53歳のときにホワイトハウスを去った。彼は離職後四ヶ月に満たない内にテネシー州ナッシュビルの新居「ポーク・プレイス」で死去した。
ポークの妻サラ・チルドレス・ポークは訪問客をしばしば受け入れながら、42年間をそこで過ごした。南北戦争中にポーク夫人は、自宅に南軍および北軍指導者の両方を歓迎した。「ポーク・プレイス」は巡礼目的地になり、中立の土地として尊重された。ポーク夫人が1891年8月14日に他界した時、彼女は、彼女を過去への貴重なリンクと見なした国家によって哀悼された。
[編集] 内閣
職名 | 氏名 | 任期 |
大統領 | ジェームズ・K・ポーク | 1845 - 1849 |
副大統領 | ジョージ・M・ダラス | 1845 - 1849 |
国務長官 | ジェームズ・ブキャナン | 1845 - 1849 |
財務長官 | ロバート・ウォーカー | 1845 - 1849 |
戦争長官 | ウィリアム・L・マーシー | 1845 - 1849 |
司法長官 | ジョン・メイソン | 1845 - 1846 |
ネーサン・クリフォード | 1846 - 1848 | |
アイザック・トウシー | 1848 - 1849 | |
郵政公社総裁 | ケーブ・ジョンソン | 1845 - 1849 |
海軍長官 | ジョージ・バンクロフト | 1845 - 1846 |
ジョン・メイソン | 1846 - 1849 |
[編集] 外部リンク
- Inaugural Address of James K. Polk.
- Biography of James K. Polk. The White House (Official Site).
- First State of the Union Address (1845).
- Second State of the Union Address (1846).
- Third State of the Union Address (1847).
- Fourth State of the Union Address (1848).
- プロジェクト・グーテンベルクにおける Works by James K. Polk
- Obituary of President Polk in The Liberator (June 22, 1849)
- Smithsonian's "Establishing Borders: The Expansion of the United States, 1846-48" with essay and lesson plans
- アメリカ合衆国大統領
- 1845 - 1849
-
- 先代:
- ジョン・タイラー
- 次代:
- ザカリー・テイラー
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