アンドリュー・ジャクソン
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アメリカ合衆国 7代大統領 | |
任期: | 1829年3月4日 – 1837年3月4日 |
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副大統領: | ジョン・カルフーン(1829年 - 32年) マーティン・ヴァン・ビューレン(1833年 - 37年) |
出生日: | 1767年3月15日 |
生地: | サウスカロライナ州ワクスハウ |
死亡日: | 1845年6月8日 |
没地: | テネシー州ナッシュヴィル |
配偶者: | レイチェル・ジャクソン |
政党: | 民主党 |
アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson, 1767年3月15日 - 1845年6月8日)は、第7代アメリカ合衆国大統領。ジャクソンは貴族生まれでない最初の大統領。「オールド・ヒッコリー」の愛称で呼ばれた。「アメリカン・フロンティア」に暮らし、独立13州に関係しなかった最初の大統領。ジャクソンはアメリカ史の象徴となった。アメリカ独立戦争と南北戦争の間、その時代は「エイジ・オブ・ジャクソン」「ジャクソン・エラ」としばしば呼ばれた。
目次 |
[編集] 生い立ち
ジャクソンは1767年にカロライナのワクスハウエリアの未開拓森林地域で生まれ育った。13歳の時に彼は急使として大陸会議軍に加わった。彼の肉親はアメリカ独立戦争時に全て死亡し、彼自身は英軍の捕虜となった。戦後ジャクソンは1800年に若き弁護士としてテネシー州に移り住んだ。彼は名門の生まれではなかったため、自分の才覚で経歴を創り上げなければならなかった。すぐに彼は開拓時代の無秩序の中で頭角を現し、州市民軍の大佐となり軍歴を積み重ねることとなった。
1812年の米英戦争で彼は勇敢に戦い功績を挙げた。彼は軍隊で名声を得、森林地帯の戦場で「古いヒッコリーのように頑丈」"tough as old hickory" と呼ばれ、前述の愛称を得た。戦争に於いて1815年1月8日のニューオーリンズの戦いでの彼の指揮は全国的な名声に繋がった。彼はその戦功で大将に昇進した。
戦後彼は急速に政治的経歴を積む。彼は上下両院の議員に選出され、最高裁判所に勤務した。1818年に再び軍務に就き、フロリダのアメリカ領を防衛する対スペイン戦役に従軍した。その後彼は同地の知事に任命された。
[編集] 大統領職
彼の時代までに白人男子普通選挙制が確立したこともあり、彼の時代は「ジャクソニアン・デモクラシー」とも称される。また、官吏の多くを入れ替えて自らの支持者を官吏とする猟官制(スポイルズ・システム)を導入した。当時においてはこの政策が汚職構造の打破と考えられたが、これが慣例化したことで逆に汚職の温床となり、19世紀末に廃止された。大きな政府を望まないジャクソンは、かつて政府が設けた第二合衆国銀行を、州ごとの独自財政を奪うとともに庶民の利益に沿わないとして廃止した。こうした一連の政策は、苦労人としての生涯とあわさって庶民の味方としてのジャクソンというイメージを形成させた。
しかし、彼の立身出世のきっかけが米英戦争であり、同戦争においてネイティヴ・アメリカン(インディアン、アメリカ先住民)の掃討で活躍していたように、彼の目指す民主主義は白人のためのものであった。ジャクソンが定めたインディアン強制移住法は、ネイティヴ・アメリカンから強制的に土地を収奪するもので、この法律によってネイティヴ・アメリカンの多くは大陸西部へと追いやられた。この時代の人間のご多聞に漏れず、ジャクソンも有色人種差別主義・白人至上主義者で、このインディアン強制移住法は違憲であるという判決を下した連邦最高裁判所長官ジョン・マーシャルに対し、ジャクソンは「マーシャルがこの判決を下したのだ。だからマーシャルにこの判決を実行させてみようではないか」と嘯き、平然と強制移住法を施行した。
[編集] 内閣
職名 | 氏名 | 任期 |
大統領 | アンドリュー・ジャクソン | 1829–1837 |
副大統領 | ジョン・カルフーン | 1829–1833 |
マーティン・V・ビューレン | 1833–1837 | |
国務長官 | マーティン・V・ビューレン | 1829–1831 |
エドワード・リヴィングストン | 1831–1833 | |
ルイス・マクレーン | 1833–1834 | |
ジョン・フォーサイス | 1834–1837 | |
財務長官 | サミュエル・インガム | 1829–1831 |
ルイス・マクレーン | 1831–1833 | |
ウィリアム・デュアン | 1833 | |
ロジャー・トーニー | 1833–1834 | |
レヴィ・ウッドベリー | 1834–1837 | |
戦争長官 | ジョン・H・イートン | 1829–1831 |
ルイス・キャス | 1831–1836 | |
司法長官 | ジョン・M.・バーリエン | 1829–1831 |
ロジャー・トーニー | 1831–1833 | |
ベンジャミン・F・バトラー | 1833–1837 | |
郵政長官 | ウィリアム・バリー | 1829–1835 |
エイモス・ケンダル | 1835–1837 | |
海軍長官 | ジョン・ブランチ | 1829–1831 |
レヴィ・ウッドベリー | 1831–1834 | |
マーロン・ディカーソン | 1834–1837 |
[編集] 指名した最高裁判所判事
- ジョン・マクレーン - 1830
- ヘンリー・ボールドウィン - 1830
- ジェームズ・ムーア・ウェイン - 1835
- ロジャー・トーニー - 最高裁判所長官 - 1836
- フィリップ・ペンドルトン・バーバー - 1836
[編集] 関連項目
- アメリカ合衆国ドル - ジャクソンの肖像は、現在20ドル紙幣に採用されている。 また、彼の肖像は過去に5ドル(1869年)、10ドル(1923年)、10,000ドル兌換金券(1882年)の紙幣にも採用され、この他、正式な通貨ではないが、南部連盟の1,000ドル紙幣にも採用された。
- 1824年アメリカ合衆国大統領選挙
- 1828年アメリカ合衆国大統領選挙
- 1832年アメリカ合衆国大統領選挙
[編集] 外部リンク
- Andrew Jackson on the Web (resource directory)
- Critical Resources: Andrew Jackson and Indian Removal
- A genealogical profile of the President
- Portraits of Jackson on bank notes
- Rachel & Andrew's life together
[編集] 就任演説
[編集] 一般教書演説
- First State of the Union of Andrew Jackson
- Second State of the Union of Andrew Jackson
- Third State of the Union of Andrew Jackson
- Fourth State of the Union of Andrew Jackson
- Fifth State of the Union of Andrew Jackson
- Sixth State of the Union of Andrew Jackson
- Seventh State of the Union of Andrew Jackson
- Final State of the Union of Andrew Jackson
- アメリカ合衆国大統領
- 1829 - 1837
-
- 先代:
- ジョン・クィンシー・アダムズ
- 次代:
- マーティン・ヴァンビューレン
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