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ジャクソン5 - Wikipedia

ジャクソン5

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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ジャクソン5 (- ファイブ、The Jackson 5The Jackson FiveThe Jackson 5ive、略記してJ5とも。のちにはジャクソンズ、The Jacksons) は、1962年から1990年にかけて活動したアメリカのポピュラー音楽の5人組グループ。インディアナ州ゲーリー出身。主にR&Bソウルファンク、後期にはディスコなどのジャンルを歌った。1970年代初めにおける「ポップ・ミュージックの最も大きな現象のひとつ」であるとの評価もある[1]。また、リード・ヴォーカルであるマイケル・ジャクソンの歌手としての最初のキャリアとしての面も注目される。

キャサリン・ジャクソンとジョセフ (ジョー)・ジャクソンの息子たち、ジャッキーティトジャーメインマーロンマイケルの5人がメンバー。後にジャーメインに代わって末弟のランディが加わり、ジャクソンズとグループ名を改めた。1962年の結成当初は幼いマーロンとマイケルはメンバーに含まれてはおらず、父ジョセフをマネージャーとして年長のジャッキー、ティト、ジャーメインの3人と、レイノー・ジョーンズ (Reynaud Jones) 、ミルトン・ハイト (Milton Hite) (後ろの2人はジャクソン家との血縁関係はない) の5人で結成された。しかしそれから1年とたたないうちにマーロンとマイケルを加え、マイケルをリード・ヴォーカルとした。1960年代半ばまではアメリカ東部および中東部で活動していた。

1968年から1975年までモータウンと、1975年から1990年の解散まではエピック/CBSレコード (CBSとの契約時に「ジャクソンズ」と改名) とレコード契約を結ぶ。デビュー曲「帰ってほしいの (I Want You Back) 」を皮切りに、"ABC"、「小さな経験 (The Love You Save) 」、"I'll Be There"と全米チャート1位となるヒットを連発し、一躍スーパースターとなった。その後も「ママの真珠 (Mama’s Pearl) 」、「さよならは言わないで (Never Can Say Goodbye) 」、"Dancing Machine"の3曲で全米チャート2位および全米R&Bチャート1位を獲得するなど、高い人気を得た。初期のヒット曲のほとんどは「ザ・コーポレーション」と呼ばれる作曲家・プロデューサーのチームによって書かれた。後期のヒット曲はハル・デイヴィスを中心に作られた。

現在では、ジャクソン5は「ボーイ・バンド」 (アイドル的な人気をもつ若い男性のバンド。バックストリート・ボーイズなどが典型例とされる) の最初期の例のひとつであると指摘されている。5人のティーンエイジャーをひとつのグループとして売り出し、幅広い層からの人気を得たという点において、いわゆるボーイ・バンドの条件を完全に満たしているといっていいだろう。また、ジャクソン5は黒人アイドルグループとしては初めて白人にも受け入れられた存在であるとも言われている。モータウンからエピックへの移籍後、作曲やプロデュース、演出に自ら関わるようになり、"Shake Your Body (Down to the Ground)"や"State of Shock"などの1980年代のヒット、1984年のビクトリー・ツアーの成功へとつながることになる。しかしその後はメンバー各自の活動が主になり、活躍の場をソロ活動へと移していたマイケルが (1曲を除いて) 参加せずに収録された1989年のアルバム2300 Jackson Streetの興業的失敗ののち、1990年に公式に解散した。

目次

[編集] 来歴

[編集] 初期

ジャクソン兄弟はインディアナ州ゲーリーの労働階級の家の子供として生まれた。母のキャサリンはエホバの証人の信者であり、息子たちを入信させている。製鉄所の従業員であった父のジョーは、彼の弟のルーサーと「ファルコンズ (The Falcons)」というR&Bのバンドをやっていた。ジョーはしつけに非常に厳しい人物だったようで、彼の息子たちの多くは、父から体罰を受けたことを後に述懐している。

そんな子供達は音楽にはけ口を見出すことになる。ジャッキー (1951年生) 、ティト (1953年生) 、ジャーメイン (1954年生) の兄3人は父のギターを無断で借りてラジオにあわせて演奏し、弟のマーロン (1957年生) とマイケル (1958年生) も父には黙ってそれを見ていたという。ジョセフはギターの弦が切れていることからこれに気づく[2]。これに初めは怒ったものの、息子たちの音楽の才能に気づいたジョセフは彼らに音楽活動をさせることを決意する。

1962年、ジャッキー、ティト、ジャーメインの3人は、近所に住んでいたミルトン・ハイト (ドラム) とレイノー・ジョーンズ (キーボード) とともに、「ジャクソン・ブラザーズ (The Jackson Brothers) 」の名でゲイリー周辺で演奏を始める。ジョーは当初はパートタイムで、その後は製鉄所での仕事をやめてフルタイムでマネージャーとして活動した。ジャーメインがリード・ヴォーカル及びベース、ティトがギターを担当していた。

1963年にはマーロンとマイケルがそれぞれタンバリンとボンゴの担当として参加。すでに歌でも踊りでも頭角を表していたマイケルが[3]1967年半ばまでにはジャーメインに代わってリード・ヴォーカルを務めるようになる。また、ティトの中学校の管弦楽教師であるシャーリー・カートマンがジャクソン兄弟の才能に気づき、彼らに指導をしていた。そのころまでに彼らは「ジャクソン5 (The Jackson Five)」と名乗るようになった。

このころに、インディアナ州で広範囲に渡るツアーを行った。1966年に地元で行われた大きなタレントショーで、テンプテーションズの"My Girl"をマイケルをリード・ヴォーカルとして歌い優勝したのち、イリノイ州シカゴでプロとしての演奏を始め、アメリカ中東部を活動の場とする。これらのツアーは黒人クラブをまわるいわゆるチトリン・サーキットと呼ばれる形態のもので、まだ幼い彼らはストリップショーなど成年向けの舞台の前座を務めなければならないこともあった。

シャーリー・カートマンによってジャクソン5はゴードン・キース主催の地方レーベル「スチールタウン (Steelwotn)」との契約を得て、1967年に初めてのレコーディングを行った。最初のシングル"Big Boy"は地域的なヒットとなった。このころ、ミルトン・ハイトとレイノー・ジョーンズに代わってジョニー・ジャクソン (血縁関係はない) をドラムに、ロニー・ランシファーをキーボードに迎えている。

ジャクソン5はこのころから多数のファンを獲得していた。サム&デイヴも彼らには注目しており、このことがハーレムのアポロシアターで行われた「アマチュア・ナイト」で脚光をあびる一助となった。ジャクソン5は1967年8月13日にアマチュア・ナイトで優勝し、モータウン・レコードのアーティスト、グラディス・ナイトの目に止まる。ナイトはモータウン社長のベリー・ゴーディにジャクソン5を推薦したが、当時ゴーディは同じく10代だったスティーヴィー・ワンダーと契約しており、未成年を2組も抱えることに法律面などからの躊躇があり、このときのモータウンとの契約はならなかった。

[編集] 影響

ジャクソン5のサウンドは1960年代の多くのビッグスターの影響を受けている。特にスライ&ザ・ファミリー・ストーンアイズレー・ブラザーズといった家族編成のファンクバンド、ソウルの先駆者であるマーヴィン・ゲイドゥーワップのボーイ・バンドであるフランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズ、そしてウィルソン・ピケット、ジャッキー・ウィルソン、スティーヴィー・ワンダー、ジェームズ・ブラウンなどのソウル歌手の影響を強く受けた[2]。ジャクソン5が最初の成功を収めたころ、モータウンはソウル・ファンク界において60年代の多くのスターを生み出している。スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、テンプテーションズ、ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスがその代表である。

ジャクソン5は、これら多くのスターから歌い方やダンスなどを採り入れている。リード・ヴォーカルを複数置くスタイルはファミリー・ストーンからの着想であるし、マイケルはジャッキー・ウィルソンやジェームズ・ブラウンの情熱的な歌やダンスを自らのそれに採り入れた。

[編集] モータウン加入

1968年まで、ジャクソン5はシカゴのザ・ガイズ・アンド・ギャルズ・カクテル・ラウンジ・アンド・レストランにおけるオールスター・フロア・ショーのメインアクターを務めていた。1968年7月12日から27日にかけて、ジャクソン5はシカゴのリーガル・シアターで、モータウン所属のボビー・テイラー&ザ・バンクーバーズの前座として歌った。ボビー・テイラーはジャクソン5に非常に感動し、デトロイトに連れていきモータウンに紹介することを約束した。22日には、テイラーとモータウンの女流プロデューサーのスザンヌ・ド・パッシーがオーディションの準備をして待っていたのに、ジャクソン5の面々はデトロイトのテイラーのアパートにおりオーディションは受けられなかった。

翌日にオーディションを受け、ジェームズ・ブラウンの当時のヒット曲"I Got the Feelin"を歌う。ベリー・ゴーディは出席しなかったが、オーディションの様子はビデオテープに収められロサンゼルスの彼の元に届けられた。彼の当初の躊躇はこのビデオテープによって霧散し、ジャクソン5は見事モータウンと契約する。11月25日にはモータウンのメンバーとしてジャクソン5を紹介するべく、デトロイトにあるゴーディの邸宅でパーティが開かれた。

モータウンはスチールタウンからジャクソン5の契約を買い取る交渉を始め、1969年3月までにその交渉を終えた。テイラーはジャクソン5のモータウンとしての最初のレコーディングをヒッツビルU.S.A. (デトロイトにあるモータウンのレコーディング・スタジオ) で行った。テイラーがプロデュースした初期のジャクソン5の楽曲は全て、当時のヒット曲やモータウンのスタンダード・ナンバーのカバーであった。スライ&ザ・ファミリー・ストーンの"Stand!"やスモーキー・ロビンソンの手によるミラクルズの"Who's Lovin' You"などである。

1969年8月半ば、ゴーディはジャクソン5とジョセフをカリフォルニアへ引っ越させた。残りの家族はゲーリーに残っていたが、ゴーディとド・パッシーは、モータウンの次なるスターとしての準備を彼らに求めたのである。カリフォルニアでのすまいを探す間、ジョセフ、ジャーメイン、ティト、ジャッキーの4人はベリー・ゴーディの家に、マイケルとマーロンはモータウンのスターであるダイアナ・ロスの家で暮らしていた。

[編集] クレジットの食い違い

この間モータウンは、ジャクソン5を音楽業界の本流へと押し上げるべくプロモーションのための宣伝資料やそのほかのプロモーション用品を作成した。その際、ジャクソン5の経歴に部分的に改竄が加えられている。マイケルをより可愛く見せるため年齢を11才から8才へと変更したり、血縁関係のないバンドメンバー (ジョニー・ジャクソンとロニー・ランシファー) を従兄弟であるとしたり、ジャクソン5を発掘したのはダイアナ・ロスであるとしたり[4]といったものがそれである。インタビューやライナーノートなどの初期のモータウンの公式な紹介では、ダイアナ・ロスが、ゲーリーのリチャード・ハッチャー市長 (アメリカ最初のアフリカ系アメリカ人市長) から、チャリティーコンサートで市長のために演奏したジャクソン5を紹介されたとしている (ダイアナ・ロスに加えてベリー・ゴーディも並行して彼らを発掘したことになっているものもある) 。この話では、彼らの演奏に素質を見たダイアナ・ロス (とゴーディ) が彼らにモータウンとの契約をさせ、ダイアナ・ロスが彼らに指導をするようになった、と続く。

ダイアナ・ロスがジャクソン5の初期の成長に大きく関わりったのは事実である。しかし、ジャクソン5の発掘・デビューの上で大きな役割を果たしたのは、シャーリー・カートマン、サム&デイブ、グラディス・ナイト、ボビー・テイラーらである。この事実は20年ものあいだ公にはなることはなかった。

[編集] Diana Ross Presents the Jackson 5

1969年の晩夏から初秋にかけては、レコーディングはせずトレーニングを行っていた。ダイアナ・ロスがジャクソン5を公に紹介したのは、公式には1969年8月11日、ビバリーヒルズの「デイジー」というクラブにおいてだった。8月終わりにはニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで収録されたMiss Black America Pegeantでテレビに初登場。アイズレー・ブラザーズの"It's Your Thing"を歌った。

最初のシングル曲「帰ってほしいの (I Want You Back) 」は、「ザ・コーポレーション」の名を名乗ったモータウンの4人の作曲家・プロデューサーの合作で書かれた。ベリー・ゴーディ、アルフォンソ・ミゼル、デック・リチャーズ、フレディー・ペレンである。「帰ってほしいの」はモータウンが公式に定めた「ジャクソン5 (The Jackson 5) 」というグループ名義のシングルとして10月7日にリリースされた。ジャクソン5はテレビ番組「ハリウッド・パレス」に、ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスの特別ゲストとして出演し、「帰ってほしいの」と、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの"Sing a Simple Song"、デルフォニクスの"Can You Remember"、ジェームズ・ブラウンの"There Was a Time"を歌った。「帰ってほしいの」は、1969年12月リリースのジャクソン5最初のアルバム'Diana Ross Presents the Jackson 5'に収録された唯一のシングルでもある。この曲は1970年1月にビルボード・ホット100チャートにおいて、ビートルズの「レット・イット・ビー」を押し退けて1位を獲得する。

[編集] 人気獲得と商業展開

ジャクソン5の初期の楽曲のほとんどを製作したザ・コーポレーションは、ジャクソン5のために「モータウン・サウンド」とバブルガム・ポップを組み合わせた「モータウン・ソウル」と呼ばれる新しい音を作り上げた。「帰ってほしいの」と、それに続いて1970年代に発表された"ABC"、「小さな経験 (The Love You Save) 」、"I'll Be There"でデビューから4曲続けてビルボード・ホット100及びビルボード・ソウル・シングルズ・チャート1位を獲得し、急速に人気を得た。上記の4曲以外にトップ5入りを果たした初期のシングルには「ママの真珠 (Mama’s Pearl) 」と「さよならは言わないで (Never Can Say Goodbye) 」がある。

このころに、ジョセフは妻キャサリンと残りの家族のカリフォルニアへの引越しの手配を済ませた。ロサンゼルスのクイーンズ通り1616の2階建ての家への最初の引越しののち、ジャクソン家はジョセフが1971年3月に購入した邸宅、通称「ハイヴェンハースト (Hayvenhurst) 」に移った。

ジャクソン5はデビュー1年にしてポピュラー音楽界で最も人気のあるグループのひとつとなり、「ジャクソンマニア」が全米を覆った。ジャクソン5はモータウンの主力アーティストの座をスプリームスから実質的に奪ってしまった。また、ジャクソン兄弟の若者からの人気を利用し、ステッカー、ワッペン、ポスター、塗り絵といった子供向けの商品が多く発売された。1971年創刊のアフリカ系アメリカ人ティーンエイジャー向けの新雑誌「ライト・オン!」はジャクソン兄弟を非常に多く取り扱っており、1972年2月から1974年4月まで毎号ジャクソン家の誰かが表紙を飾っていたほどである。テレビ番組では、ランキン・バスプロダクションによるテレビアニメーションThe Jackson 5iveが1971年9月11日から土曜朝の番組として2シーズンABCから放映された。また、ジャクソン5主演による2つの特別番組Goin' Back to Indiana (1971年9月16日) とThe Jackson 5 Show (1972年11月5日) も放送された。

1971年、モータウンはマイケルを"Got To Be There"でソロデビューさせる。この曲は全米トップ5を獲得した。翌年には映画「ベン」の主題歌である「ベンのテーマ (Ben) 」をリリース。ヒットしたそのほかのソロ曲には"Rockin' Robin"、"I Wanna Be Where You Are" (ともに1972年) がある。ジャーメインは1973年前半にソロ活動を開始し、シェップ・アンド・ザ・ライムライツのカバー"Daddy's Home"で全米トップ10を獲得する。ジャッキーもソロアルバムを出すものの、これはチャートインするようなヒットとはならなかった。ファンの間ではマイケル、ジャーメイン、ジャッキーの3人がソロ活動に専念しグループを離れるのではないかとの噂が立ったが、モータウン側の (ジャクソン5としての成功を維持したいという) 意図もあり、彼らはその後もソロ活動とグループ活動を並行して続けることになる。

[編集] 女性関係・結婚

1970年代前半には、ジャクソン5は若い女の子に非常に人気があったことでも有名である。多くの女子がジャクソン兄弟、とくにジャーメインとマイケルに恋をした。『マイケルジャクソンの真実』の製作者J・ランディ・タラボレッリによれば、兄や父がファンの女の子と性的な関係をもっているときに、弟のマイケルとマーロンは同じ部屋でその行為を見ていたとのことである[5]。マイケル自身はグループで最も人気があったにもかかわらず、彼の思春期の大部分を女性に対して内気なままに過ごしたという。

ティトは1972年6月に兄弟の中で最初に結婚した。相手は高校のガールフレンドのディーディー。

父の反対を無視して、ジャーメインはベリー・ゴーディの娘ヘイゼルと付き合い始めた。ジャーメインとヘイゼル・ゴーディの関係は「ライト・オン!」、「エボニー」、「ジェット」などの雑誌で大きく取り扱われた。二人は1973年12月15日にビバリーヒルズ・ホテルで結婚式をあげた。

[編集] 低迷

1972年移行、ジャクソン5の曲はそれなりに売れはするものの、それまでほどの爆発的な売上げは出さなくなってしまう。72年以降の全米トップ20シングルには「窓辺のデート (Lookin' Through the Windows) 」 (1972年) 、ディスコ調の曲でロボットダンスを有名にした"Dancing Machine" (1974年) がある。これらの曲はほとんどがハル・デイヴィスによって作曲・プロデュースされたものである。アルバムでは、Lookin' Through the Windows (1972年) や、以後彼らのライブでの定番曲となる"Hum Along and Dance" (テンプテーションズのカバー曲) を収録するG.I.T.: Get It Together (1973年) などのヒットがあるものの、総じて評価も売上げも芳しくはなかった。

この低迷の主な原因はモータウンがジャクソン5に対してイメージの転換やセルフプロデュースを許さなかったことにある、という認識は、当時の批評家、ジャクソン5自身、そしてジョセフ・ジャクソンに共通するところであった。ステージでは自身の楽器を弾き、また自身での作曲も始めていたにもかかわらず、モータウンはそれをレコーディングすることを許さなかった。モータウンから離れればより大きな成功を収めることができると感じたジョセフは、息子たちのために新たなレコード契約を模索することになった。

[編集] CBSレコードへの移籍

1975年にジャクソン5はCBSレコードとの契約を結ぶ。モータウンの標準印税率が2.5%であったのに対し、CBSレコードはジャクソン5と20%の印税率を約束した。また、CBSでは自作自演・自身の楽器を演奏することが認められた。モータウンはジャクソン5に対し契約違反の訴訟を起こすものの、結局ジャクソン5を引き留めることはできなかった。しかしモータウンは「ジャクソン5 (Jackson 5) 」の商標を手放さなかったため、CBSレコード所属後はジャクソンズ (The Jacksons) と名乗ることとなった。また、ジャーメインがモータウン (つまり、ゴーディ) に残ることを選択したため、彼に代わって、末弟で当時14才のランディが新たに加入した。ランディは非公式には1972年からライブでのバックミュージシャンとしてコンガを演奏していた。

ジャクソン5を失ったモータウンは、ベリー・ゴーディが社長を務めた時代には、ジャクソン5以上の成功を収めるミュージシャンを得ることはなかった。ベリー・ゴーディはジャクソン5について、 (ジャクソン5が既にモータウンで最も人気のある存在となった後に) 「 (モータウンという) 流れ作業の組み立てラインから生まれた最後のビッグスターだった」と語っている[6]

1976年夏、CBSテレビの重役フレッド・シルバーマンは、ABCのオズモンズに対抗すべく、ジャクソン家の8人 (マイケル、マーロン、ティト、ジャッキー、ランディー、レビー、ラトーヤ、ジャネット) とバラエティー・ショーの契約を結ぶ。「ジャクソンズ (The Jacksons) 」は1976年6月16日に放送を開始し、翌年3月まで続いた。この番組はアフリカ系アメリカ人の家族を主演とした最初のバラエティー・ショーであった。

ジャクソンズは、CBS所属時代の前半はフィラデルフィア・インターナショナル・レコードから、のちにはエピック・レコードから「僕はゴキゲン (Enjoy Yourself) 」 (フィラデルフィア・インターナショナルのケネス・ギャンブルとレオン・ハフによるプロデュース) に代表されるヒットを生み出した。ギャンブルとハフによる2枚のアルバムののち、ジャクソンズは自らプロデュースに乗り出し、1978年にアルバムDestinyを発売する。このアルバムはモータウン後としては最大のヒットシングルで、ビルボード・ホット100の7位、同じくビルボードR&Bシングル・チャート3位となる"Shake Your Body (Down to the Ground)"を収録している。このシングル曲はマイケルとランディの手によるもので、200万枚を売上げダブル・プラチナムを獲得している。Destinyもプラチナ・レコードとなり、ビルボード・ホット200・アルバム・チャートでは最高11位、同R&Bチャートでは3位を記録している。1979年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームを認定された。

[編集] 1980年代

1978年、マイケルはモータウンとユニバーサル映画合作の映画「ウィズ」 (オズの魔法使いの改作であるミュージカルの映画化) にダイアナ・ロスなどとともに出演。この映画の作曲をしたクインシー・ジョーンズが翌年、マイケルのエピックからの最初のアルバム「オフ・ザ・ウォール」の作曲を担当することになる。1979年発売のこのアルバムは700万枚を売上げ、4つのトップ10、2つのナンバー1シングルを出すという大ヒットとなり、マイケルが最終的にジャクソンズを離れるきっかけのひとつとなった。

しかしマイケルはジャクソンズの活動をその後も続け、1980年には「マイ・ラブリー・ワン (Lovely One) 」と"Can You Feel It"の2つのシングルカットのヒット曲を含むアルバムTriumphを発表。さらにその翌年には"Triumph"ツアーのもようを収録したライブアルバムThe Jacksons Live!がゴールド・レコードとなった。1988年にローリングストーン誌は「1967年から1987年のツアー、ベスト25」のひとつにTriumphツアーを数えている。Triumphツアーとアルバムはともに興業的な成功を収めたものの、マイケルの1982年のアルバム「スリラー」の影に完全に隠れることとなってしまう。「スリラー」は歴史上最も多くの売り上げを記録したレコードである。

1983年5月17日の「モータウン25」 (モータウンの25周年記念コンサートを録画放送した特別番組) がNBCから放送された。その中で、ジャーメインと他の兄弟たちの再結成による演奏があり注目された。1979年のテレビ番組The Midnight Specialへの出演を別とすれば、この (ジャーメインとの) 「ジャクソン5」の再結成は実に7年ぶりのことであった。しかし、この再結成もまた、マイケルのソロパフォーマンスによって曇りがかってしまう。同じコンサートでのマイケルの"Billie Jean"は、初めてムーンウォークを披露した歴史的名演となったのである。

ジャクソンズはその後、ゲストとしてミック・ジャガーを迎えた"State of Shock"を収録したアルバムVictoryを1984年にリリース。Victoryワールド・ツアーを行い大きな成功を得た。このアルバム及びツアーではジャーメインが公式にメンバーに復帰し、6人組としての活動となった。

Victoryツアーのすぐ後、マイケルは「スリラー」及びそのシングルカットの大ヒットを受け、ソロ活動に専念するためにジャクソンズから脱退する。ジャクソンズの一員としてツアーに参加していたときからソロとしてのマイケルの名は大きくなりつづけていたのである。他の兄弟たち (そのほとんどがマイケルとともにUSAフォー・アフリカの1985年のシングル曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加した) もソロ活動を行うことにしたため、ジャクソンズはいったん解散する。その後1989年に最後のアルバム2300 Jackson Streetで再結成する。このアルバムではラトーヤを除くジャクソン家の兄弟姉妹全員が名を連ねたタイトル曲では全米R&Bナンバー9を獲得したが、ほとんどの曲ではジャーメイン、ジャッキー、ティト、ランディの4人のみのクレジットである。このころにはマイケルは世界的な大スターになっており、末妹のジャネットの名声も高まっていたため、ジャクソンズが注目されることはほとんどなくなってしまった。

2004年にはCBS/エピック時代からのベスト・アルバムThe Essential Jacksonsが、また、Universal/Hip-OからThe Jacksons Storyというモータウン時代からのヒット曲を集めたアルバムが相継いで発売された。

[編集] 解散後と影響

1990年の解散後、唯一の復活再結成は2001年9月7日ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで行われたマイケルのソロ活動30周年記念ライブにおいてである (このようすは同年11月13日にCBSで特別番組として放送された)。それ以外ではメンバーはそれぞれの活動に焦点をあわせていた。

1980年代、マイケル・ジャクソンは世界の頂点に君臨するミュージック・スターの一人となり、「スリラー」と「バッド」の2つのアルバムは20世紀を代表するヒットとなった。しかし、彼の輝かしい業績はアメリカ国内では1990年代、2000年代にかけて、いくつかの行為によって奇人のレッテルを貼られてしまったこと、2つの刑事事件に発展する未成年への性的虐待事件などによって急速に衰えてしまう。1993年の事件では法廷外での決着となり、2005年の事件ではマイケルに対する嫌疑の全てが取り下げられている。

ジャクソンズ解散後、ジャーメイン・ジャクソンとマーロン・ジャクソンはソロ活動を開始する。しかし、両者とも目立った活躍は残せなかった。結局、マーロンは不動産業をし、またブラック・ファミリー・チャンネルの共同所有者ともなった。

ティト・ジャクソンは彼の父がしたように、彼の3人の息子たちをT3の名で音楽グループとしてデビューさせる。T3は1997年にマイケルをゲストに迎えた"Why"で全英トップ5にランクインする。そのすぐのち、ティトはブルース歌手として控えめなキャリアをスタートさせている。ランディは専ら兄弟たちを助ける仕事にまわっている。現在ランディはマイケルの公式ウェブサイトmjsource.comのウェブマスターでもある。

ジャクソン5はその後に大きな影響を残した。ジャンルの異なるグループにも影響を及ぼしており、インディーロックのバンドダッシュボード・コンフェッショナル[2]、R&Bのグループニュー・エディション[7]やB5[8]、ボーイ・バンドのハンソン[9]などがジャクソン5からの影響を認めている。しかしその中で特筆すべきなのは1980年代中盤のイギリスの兄弟姉妹グループファイブ・スターであろう。ピアソン家のステッドマン、ドリス、ロレーヌ、デニース、デルロイの5人で構成され、父親のバスター・ピアソンがマネージャーを務めていた。最初のレコーディングが行われたときに最年少のデルロイはわずか12才であった。T5はジャクソン5としばしば比較され、ドリスも彼女の素晴らしい一瞬として「結婚の日にマイケル・ジャクソンと踊ること」と述べている。

ジャクソン5は1997年にロックの殿堂に、1999年にヴォーカル・グループの殿堂にそれぞれ迎えられた。さらに、"ABC"と「帰ってほしいの」の2曲がロックの殿堂の「ロックを形作る500曲」に選ばれている。

1981年、モータウンは、全世界でのジャクソン5のモータウンからのアルバム・シングルの総売上げが1億枚を突破したと発表した。エピック・レコードは1984年末にジャクソンズのレコードのセールスが3000万枚を越えたと発表している。

[編集] テレビドラマ

詳細はジャクソンズ: アン・アメリカン・ドリーム (en:The Jacksons: An American Dream) を参照

1992年、スザンヌ・ド・パッシーとジャーメイン・ジャクソンはモータウンとともに、ジャクソン家の来歴を元にした5時間枠のテレビドラマ「ジャクソンズ: アン・アメリカン・ドリーム」を製作した。このドラマは2部構成でABCから放送された。第1話では1945年のキャサリンとジョセフの最初の出会いから1969年のモータウンでのデビューまで、第2話は1970年から1984年までを、ジャクソン5の成功が家族にあたえた影響とともに取り扱っている。

配役はキャサリン・ジャクソンにアンジェラ・バセット、ジョセフ・ジャクソンにローレンス・ヒルトン=ジェイコブス、ベリー・ゴーディにビリー・ディー・ウィリアムズ、スザンヌ・ド・パッシーにヴァネッサ・リン・ウィリアムズ、ダイアナ・ロスにホリー・ロビンソン、ジャッキー (10代) にバンパー・ロビンソン、子供時代のマイケルにジェイソン・ウィーヴァー、ジャッキー (成年) にテレンス・ホワードである。このドラマは週の最高視聴率を獲得し、エミー賞を獲得、またヤング・アーティスト賞の3部門にノミネートしうち2部門を制覇した。「ジャクソンズ: アン・アメリカン・ドリーム」はのちにVH1で再放送され、VHSとDVDでも発売されている。

[編集] 関連項目

以下はジャクソン5に加わったことはないが、音楽界でのキャリアがあるジャクソン家の3人の姉妹である。

[編集] メンバー

括弧内は英語の綴りとグループへの参加時期

長兄でテナーの高音を担当。音楽を始める以前は野球をしていた。ソロとして3枚のアルバムを発売。エニッド・ジャクソンと結婚。
バリトン担当。ソロではブルースを歌っている。
グループがモータウンからCBSレコードに移籍したのちもモータウンに残りソロとして活動、まずまずの成功を収める。
バンド結成から1年後にマイケルとともに加入。兄弟たちに比べダンスが上手くなく、ときに非難された。キャロル・パーカーと結婚。兄弟との軋轢が原因で最後のアルバムには参加していない。ソロとして1枚のアルバムをリリースしている。その後不動産業、また大きな放送局の共同所有者となった。兄弟の中で唯一離婚経験がない。
マイケルはジャクソン5の中で明らかに最も人気のあるメンバーであった。兄弟の中でソロ活動で目立った活躍をしたのはマイケルのみであり、そして世界でもっとも有名な歌手のひとりとなった。
  • ランディ・ジャクソン (Randy Jackson, 1975年-1990年) 、ヴォーカル・コンガ・キーボード・シンセサイザーおよびベース
ランディーは非公式には1972年からジャクソン5に参加し、コンガを演奏していた。1975年、CBS移籍によりジャクソン5が「ジャクソンズ」と名を変えるときにジャーメインと入れ替わるかたちで公式なメンバーとなる。 (テレビ番組「アメリカン・アイドル」の審査員をしている同名歌手・プロデューサーとは別人である。)

[編集] バンドのメンバー

  • ミルフォード・ハイト (Milford Hite, 1962年-1967年) 、ドラム
ジャクソン5が地元インディアナで結成したときのドラマー。
  • レイノー・ジョーンズ (Reynaud Jones, 1962年-1967年) 、リード・ギター
ティトがリード・ギターを担当する以前のギタリスト。
  • ジョニー・ジャクソン (Johnny Jackson, 1967年-1975年) 、ドラム
モータウン時代の終わりまで、ステージでのドラマーを務めた。ジャクソン家との血縁関係はない。2006年逝去。
  • ロニー・ランシファー (Ronnie Rancifer, 1967年-1975年) 、キーボード
モータウン時代のキーボーディスト。

[編集] ディスコグラフィー

全ての楽曲の一覧はジャクソン5のディスコグラフィ (en:Jackson 5 discography) を参照

[編集] 全米・全英トップ10のシングル

以下に挙げるのは、ビルボード・ホット100もしくはUKシングル・チャートでトップ10入りした、もしくはビルボードR&Bシングル・チャートでナンバー1になった曲である。

[編集] ジャクソン5

(全てモータウンからの発売)
発売年 曲名 全米トップ10チャート 全英トップ10チャート 全米R&Bナンバー1
1969年 帰ってほしいの (I Want You Back) 1 2 1
1970年 ABC 1 8 1
1970年 小さな経験 (The Love You Save) 1 7 1
1970年 アイル・ビー・ゼア (I'll Be There) 1 4 1
1971年 ママの真珠 (Mama's Pearl) 2 - 1
1971年 さよならは言わないで (Never Can Say Goodbye) 2 - 1
1971年 シュガー・ダディ (Sugar Daddy) 10 - -
1972年 窓辺のデート (Lookin' Through the Windows) - 9 -
1972年 ドクター・マイ・アイズ (Doctor My Eyes) - 9 -
1974年 ダンシング・マシーン (Dancing Machine) 2 - 1
1988年 帰ってほしいの [リミックス] - 8 -

[編集] ジャクソンズ

(全てCBSからの発売)
発売年 曲名 全米トップ10チャート 全英トップ10チャート 全米R&Bナンバー1
1976年 僕はゴキゲン (Enjoy Yourself) 6 - -
1977年 愛ある世界へ (Show You the Way to Go) - 1 -
1978年 今夜はブギー・ナイト (Blame It on the Boogie) - 8 -
1979年 シェイク・ユア・ボディ (Shake Your Body (Down to the Ground)) 7 4 -
1981年 キャン・ユー・フィール・イット (Can You Feel It) - 6 -
1981年 ウォーク・ライト・ナウ (Walk Right Now) - 7 -
1984年 ステイト・オブ・ショック (State of Shock) 3 - -

[編集] アルバム

[編集] ジャクソン5

(全てモータウンからの発売)
  • 1969年: Diana Ross Presents the Jackson 5
  • 1970年: ABC
  • 1970年: Third Album
  • 1970年: The Jackson 5 Christmas Album
  • 1971年: Maybe Tomorrow
  • 1971年: Goin' Back to Indiana
  • 1972年: Lookin' Through the Windows
  • 1973年: Skywriter
  • 1973年: The Jackson 5 in Japan (日本限定、アメリカではモータウンから2004年に発売)
  • 1973年: G.I.T.: Get It Together
  • 1974年: Dancing Machine
  • 1975年: Moving Violation
  • 1976年: Joyful Jukebox Music (ベスト盤)
  • 1979年: Boogie (ベスト盤)

[編集] ジャクソンズ

(全てCBSからの発売)
  • 1976年: The Jacksons
  • 1977年: Goin' Places
  • 1978年: Destiny
  • 1980年: Triumph
  • 1981年: The Jacksons Live!
  • 1984年: Victory
  • 1989年: 2300 Jackson Street

[編集] 脚注

  1. Huey, Steve. "The Jackson 5". All Music Guide.
    http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&sql=11:88q7g4jttv3z~T00 2005年8月20日 より
  2. 2.0 2.1 2.2 2003年11月30日ラリー・キング・ライブでのジャーメイン・ジャクソンへのインタビュー。
    http://edition.cnn.com/TRANSCRIPTS/0311/30/lkl.00.html 2005年8月20日 より
  3. Rock of Ages, p. 448. "Almost immediately [after adding Michael and Marlon,] it became clear that Michael was their main attraction."
  4. "The Jackson Five". Look Magazine. (1970年8月25日)
  5. Green, Dave (プロデューサー、ディレクター). (2005年1月29日). VH1 News Presents: Michael Jackson's Secret Childhood [テレビ番組]. New York, NY: MTV Networks. (第1部、および第2部より)
  6. (1997年) "The Jackson 5". The Rock and Roll Hall of Fame.
    http://www.rockhall.com/hof/inductee.asp?id=125 2005年8月20日 より。
  7. Huey, Steve. "New Edition". All Music Guide.
    http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&sql=11:9yez97q7kr5t~T00 2005年8月20日 より。抜粋: "New Edition's early, Jackson 5-inspired material made them the forerunners of two generations of teen pop..."
  8. Rashbaum, AlyssaとPaco, Matt. "MTV News - You Heard It First: B5". MTV.com.
    http://www.mtv.com/news/yhif/b5/ 2005年8月20日 より。B5 (the "Breeding 5") はジャクソン5より後に呼称された。抜粋: "Since that fateful meeting, the Breeding brothers...have worked with sought-after producers including Rodney Jerkins, who produced their debut single, a cover of "All I Do" by the Jackson 5, a group with whom they are often compared."
  9. Erlewine, Stephen Thomas. "Hanson". All Music Guide.
    http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&sql=11:kxkniknjbb59~T00 2005年8月20日 より。抜粋: "Sounding like a re-vamped 'Jackson 5' for the '90s..."

[編集] 参考文献

  • Bierbaum, Tom (Nov. 18, 1992). Week's Nielsen win easy as ABC. Variety.
  • Cadman, Chris and Craig Halstead. Michael Jackson: the Early Years. Authors Online. ISBN 0-7552-0064-0
  • Green, Dave (プロデューサー、ディレクター). (2005年1月29日). VH1 News Presents: Michael Jackson's Secret Childhood [テレビ番組]. New York, NY: MTV Networks.
  • (2005年). J5-Collector.com. http://www.j5-collector.com 2005年8月20日 より
    サイトはすでに閉鎖している。インターネット・アーカイブへのリンク
  • Manning, Steve. The Jacksons. Indianapolis. Bobbs-Merrill. 1976年.
  • Posner, Gerald (2002年). Motown : Music, Money, Sex, and Power. New York: Random House. ISBN 0-375-50062-6.
  • Ward, Ed, Geoffrey Stokes and Ken Tucker (1986年). Rock of Ages: The "Rolling Stone" History of Rock and Roll. Rolling Stone Press. ISBN 0-671-54438-1.

[編集] 外部リンク

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