ジョアン2世 (ポルトガル王)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョアン2世(João II、1455年3月3日 - 1495年10月25日)は、アヴィシュ朝のポルトガル王(在位:1481年 - 1495年)。アフォンソ5世の子。
「無欠王」(O Príncipe Perfeito)と称された国王である。父王の時代から摂政の地位にあり、1481年に即位する。即位後は強力な中央集権化を目指し、コルテス(身分制議会)の援助を得て貴族階級を弾圧した。1481年には国土の3分の1を支配してポルトガルで権力をほしいままにしていたうえ、カスティーリャ王国と内通していたブラガンサ公を滅ぼした。内政においてはエンリケ航海王子のアフリカ西海岸開拓事業を継承して1484年はコンゴ河口、1488年には喜望峰に到達する。
しかしクリストファー・コロンブスの航海事業には協力しなかったため、大西洋開拓ではスペインに遅れをとった。1495年、41歳で死去。精力的で覇気に溢れた名君として高く評価されている。
- ポルトガル国王
- 1481 - 1495
-
- 先代:
- アフォンソ5世(アフリカ王)
- 次代:
- マヌエル1世(幸運王)