スフォルツァ家
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スフォルツァ家(Sforza)は15世紀~16世紀にミラノを支配した家である。傭兵隊長上がり、と侮られることもあったが、宮廷に学者や芸術家を集め、学芸を保護し、ルネサンスのパトロンとして知られる。フランスの侵攻により、ミラノを追われる。(イタリア戦争の項を参照)その後、ハプスブルク家の支援を受け、イル・モーロの子が一時ミラノ公を継ぐ。名のスフォルツァとはフランチェスコの父であるムツィオ・アッテンドロの呼び名で、強制的な人物を意味する。
- フランチェスコ・スフォルツァ(1401年 - 1466年)
- 傭兵隊長としてミラノ公・ヴィスコンティ家に仕える。主家の娘と結婚し、1450年ミラノ公となる。
- ルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ 1452年 - 1508年)
- 1494年、ミラノ公になる。レオナルド・ダ・ヴィンチを宮廷に招いたことでも知られる。1499年フランス軍の侵攻で捕虜となり、のちに死去。ちなみにイル・モーロとは「ムーア人(ベルベル人)」の意であり、色黒だったことから付いたあだ名。
- イル・モーロの子、マッシミリアーノ(1493年 - 1530年)が1512年にミラノ公を継ぐが1515年フランス軍により追放される。また弟のフランチェスコ・マリア(1495年 - 1535年)がミラノ奪還後の1521年 - 1525年、1529年から死去するまでミラノ公を継いでいる。