チベット仏教
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基本教義 |
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縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
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チベット仏教(チベットぶっきょう)は、チベットに伝来し、育った仏教の一派である。地理的・民族的な影響から、インドから伝来後は他の地域の仏教思想とは違った独自の熟成を遂げ、インドでの後期仏教思想の影響を色濃く残していることから、世界の仏教関係者から注目を浴びている。
基本的には龍樹の中観を中心にして、存在・認識に対する論理的思考能力と論争による智恵の獲得を重要視し、死と性を直視する密教の修行体系に取り込んでいるのが特徴である。また、大乗仏教的精神に則って、仏教の他の流派や仏教以外の宗教を自らの宗教概念に基づいて再定義し、最大宗派であるゲルク派の修道論においては、存在を肯定する「道次第(ラムリム)」という教えの習得も重要視している。
日本においては、従来、ニューエイジやサブカルチャーの領域において、そのエキゾチックな仏教美術をドラッグの幻覚を連想させる表現で引用したり、転生活仏(トゥルク)のシステムや一部の仏典のみを参照して呪術的な側面を不必要に強調したかたちで紹介されることが多かったが、実態は言語的なコミュニケーションと宗教的思索を重要視する、シリアスな大乗仏教の流派のひとつであり、ダライ・ラマがノーベル平和賞を受賞してからは、怪しい宗教のような紹介から、きちんとした紹介がなされることが多くなった。 ちなみにラマの尊称を持つ化身ラマ(活仏)を尊崇することから日本では「ラマ教」という俗称で呼ばれた時期もあったが、現在はこの俗称が適切ではないため用いられない。
チベット仏教はチベット人以外にも広く信仰される。チベット系ではインドのジャンムーカシミール州のラダック人、モンゴルと内モンゴルのモンゴル人、他にモンゴル系のトゥヴァ共和国やカルムイク共和国の人々、満州族などが多く信仰する(詳しくはチベット仏教圏を参照)。近年では、一神教を嫌って仏教に改宗するアメリカ人やヨーロッパ人の多くもチベット仏教を選択しているが、これはチベット仏教が他の流派と異なり宗教に関する論争能力に秀でているからだとも言われている。
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[編集] 歴史
[編集] 仏教伝来
7世紀前半に仏教はチベットに伝えられ、ティソンデツェン王 (742-797) の779年、サムイェー大僧院の本堂完成の折、インドのナーランダー大僧院(那爛陀寺(ならんだじ))の長老シャーンタラクシタによって6人のチベット人に説一切有部(せついっさいうぶ)の具足戒(ぐそくかい)が授けられ、僧伽が発足した。以来、訳経事業が始められ、大部のチベット大蔵経が作られた。
現象世界を時間と空間とに分け、それぞれを実体視する「無明(むみょう)」によって執着(しゅうじゃく)し、苦しむものに「無自性(むじしょう)」を説き、利他行を勧める中観(ちゅうがん)の教えが普及した。
786年に敦煌(とんこう)が占領されると、禅僧摩訶衍(まかえん)がチベットに招かれ、不思不観の坐禅による解脱を説いて流行した。王はこの教えの反社会性を憂え、シャーンタラクシタの弟子カマラシーラを794年に招き、摩訶衍を折伏(しゃくぶく)させて龍樹がまとめた中観の教義を正統とした。摩訶衍の禅は利己的救済に終始して利他行を欠くから大乗ではなく、禅定に正見がないため「般若(はんにゃ)」の完成がなく「無自性」が悟れないからとされた。
797年頃カマラシーラは暗殺されたが、843年の王朝分裂まで仏教は栄え、訳経事業も824年には峠を越えた。王朝の統制がなくなると、如来蔵(にょらいぞう)思想を基盤にした当時流行の性瑜伽(ゆが)を説く在家(ざいけ)密教、すなわち、タントラ仏教が中国系の禅と共に流行した。
[編集] アティシャの登場
11世紀になると、戒律復興運動が起こり、僧伽が再興され在家密教がしりぞけられ、顕教(けんぎょう)による修習が盛んになり、般若経 の解釈学、唯識(ゆいしき)や如来蔵思想の研究、中観2派の論争などが続いた。
他方、新しい密教を学ぶものも現れ、当時インドから入国して仏教界を指導したアティーシャ (982-1054) も密教を勧めた。当初警戒された密教も次第に僧伽に受け入れられる形に改められていったので、顕教と併修される傾向が生じた。
[編集] ゲルク派の成立
14世紀にはツォンカパが現れ、顕教の中心に特殊な帰謬論証派(きびゅう)の教義を据え、密教を中観の「無自性」を深く観ずるための密教的禅定体系に変質させた。
このようにしてインド仏教が目ざした小乗・大乗・密教を統合した修道体系を組織してチベット仏教正統派の「黄教(こうきょう)」「浄行派(じょうぎょうは)」(ゲルク派)を1409年に立宗した。ダライラマ信者のグシ・ハンが1642年までにチベットの大部分を征服してグシ・ハン王朝を樹立し、ダライラマを宗派を越えた政治・宗教の最高権威に据えたのにともない、ダライラマが元来所属していたこの宗派は、グシ・ハン王朝のみならず、隣接するハルハ、オイラト、清朝などの諸国からも仏教の正統として遇され、大いに隆盛となる。
現在の中華人民共和国において、チベット仏教が弾圧されている状況については中華人民共和国やチベットの項を参照のこと。
[編集] チベット仏教の宗派
- ニンマ派(「紅教」「古宗派」)
- サキャ派
- カギュ派(「 黒帽派(ギャルワ=シャナクパ)」はこの派の一派 カルマ派の本山ツルプ寺の座主を歴任する 化身ラマの名跡、「 紅帽派(シャマルパ)」は、ギャルワ=シャナクパに奉仕するカルマ派の四大 化身ラマの名跡のひとつ。
- カダム派(ゲルク派に吸収)
- ゲルク派(「黄教」「黄帽派」)
[編集] 関連項目
- ボン教(ポン教) - 仏教伝来以前よりチベットに行われていた民族宗教。
- 龍樹
- ラマ教の僧の初夜権
- ダライ・ラマ
- パンチェン・ラマ
- タントラ教
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