ツィタ (オーストリア皇后)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ツィタ(Zita Maria delle Grazie von Bourbon-Parma, 1892年5月9日 - 1989年3月14日)は、オーストリア・ハンガリー帝国最後の皇帝カール1世の皇后。
父はパルマ公ロベルト、母はポルトガルの廃王ミゲル1世の娘マリア・アントニアで、24人兄弟姉妹中17番目の子。ハプスブルク家現当主オットー・フォン・ハプスブルクの母である。ルクセンブルク大公マリー=アデレード、シャルロット姉妹とはともに母方の従姉妹同士に当たる。
1911年、後に皇帝となるカール大公と結婚。当時の帝位継承者フランツ・フェルディナント大公とゾフィー・ホテクの結婚が貴賎結婚であったのに対し、ツィタはスペイン・フランスの両ブルボン家の末裔であったため、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世のお気に入りの妃であった。しかしプライドが高く、夫を蔑ろにする高慢な面があり、さらに出身が第一次世界大戦の交戦国であるフランス、イタリアに結びつくということもあり、国民からは嫌われていた。
皇太子ルドルフの死に関する重要な証言を行ったことでも知られる。
カテゴリ: ハプスブルク家 | オーストリア史の人物 | 1892年生 | 1989年没