テリー・サザーン
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テリー・サザーン(Terry Southern, 1926年5月1日 - 1995年10月29日)は、アメリカ合衆国の作家・脚本家・エッセイスト・大学講師。
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[編集] 概要
1950年代には、パリ戦後文学運動の一翼を担い、グリニッチヴィレッジのビート作家に名を連ねた。1960年代には、スウィンギングロンドンと呼ばれる文化運動の中心に位置し、1970年代にはハリウッドの古式ゆかしい映画制作スタイルを破壊した一員となった。1980年代には、アメリカ合衆国における最も成功した娯楽番組のひとつ「NBC・サタデー・ナイト・ライブ(Saturday Night Live)」の作家として活躍し、一方でニューヨークのいくつかの大学で映画の脚本執筆についての講義を受け持った。
[編集] 主たる業績
サザーンの、広い視野・皮肉・暗くてしばしば不条理という作風は、多くの世代の、比較的インテリな、作家や読者・映画制作者や映画ファンに支持された。1962年には「エスクワイア(Esquire)」誌に『Twirling at Ole Miss』を発表してジャーナリストのトム・ウルフ(Tom Wolfe)にニュージャーナリズムの素質を評価され(この頃「エスクワイア」は、ジョン・サック(John Sack)、ノーマン・メイラー(Norman Mailer)、ゲイ・タリーズ(Gay Talese)などのいわゆるニュージャーナリズムの作家を多く起用していた)、『博士の異常な愛情』『シンシナティ・キッド』『イージー・ライダー』の脚本家への道を開いた。彼の『イージー・ライダー』における仕事は、ハリウッドスタイルの映画製作術とは全く異なる独立プロダクションによる映画制作への流れを作り出し、それは1970年代に大きく花開いた。
[編集] 生涯
生まれはテキサス州のアルバラード(Alvarado)。南部メソジスト大学に入学するも、陸軍士官として第二次世界大戦に従軍するためにいったん離れ、帰国後はノースウェスタン大学に復帰して、1948年に哲学の学士号を取得。軍隊退役後、フランスのソルボンヌ大学で兵士のための社会復帰プログラムを受けているときに短編小説を執筆、そのうちのひとつ『The Sun and the Still Born Stars』がパリス・レヴュー(Paris Review)に掲載されたのがデビュー作となった。
1958年には最初の小説『Flash and Filigree』がアンドレ・ダッチ(Andre Deutsch)によって出版され、すぐに次の作品『ザ・マジック・クリスチャン(The Magic Christian)』が出版された。1960年にはメイソン・ホッフェンベルグ(Mason Hoffenberg)と共同で執筆した『キャンディ(candy)』が、マックスウェル・ケントン(Maxwell Kenton)名義で、オリンピア・プレス(Olympia Press)より出版された。また、サザーンとビート族詩人のグレゴリー・コルソ(Gregory Corso)は、オリンピアの出版者であったモーリス・ジロディアス(Maurice Girodias)に、当時はまだ無名だったウィリアム・S・バロウズ(William S. Burroughs)の小説『Naked Lunch』を売り込むことにも一役買った。
1964年、英国俳優のピーター・セラーズ(Peter Sellers)の勧めもあって、映画監督のスタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)がサザーンに『博士の異常な愛情』の脚本への協力を依頼した。キューブリックの初稿は、ピーター・ジョージ(Peter George)の小説『Red Alert』に基づいていた。キューブリックとジョージ、そしてサザーンは、『博士の異常な愛情』のクレジットの上では脚本の共同執筆者となっているが、しかし実際は、この暗く風刺的な脚本は、ほとんどサザーンによって書かれたものであった。
1960年代の後半、サザーンは映画の脚本を書き続けた。1965年の『ラブド・ワン』『コレクター』、1966年の『シンシナティ・キッド』、1967年の『カジノ・ロワイヤル』『バーバレラ』がその作品である。そして1968年、サザーンはデニス・ホッパー(Dennis Hopper)、ピーター・フォンダ(Peter Fonda)と共同で「イージー・ライダー」の脚本を執筆(この脚本の中で、ジャック・ニコルソン(Jack Nicholson)が演じた南部の小さな町の弁護士の役は、もともとはサザーンがリップ・トーン(Rip Torn)のために書いたものだった)。
1980年代のはじめには、マイケル・ドナヒュー(Michael O'Donoghue)が「NBC サタデー・ナイト・ライブ(Saturday Night Live)」の構成を依頼した。また、サザーンは、1980年代終わりから、ニューヨーク大学・コロンビア大学で映画脚本についての講座を受け持った。没年は1995年、享年71。彼の最後の作品は『テキサスの夏 Texas Summer』で、それはリチャード・セーヴァー(Richard Seaver)によって1992年に出版された。
2003年4月1日、ニューヨーク市立図書館によって、サザーンの原稿・書簡・写真などをとりまとめて「サザーンのアーカイヴ」の設立が発表された。そのアーカイヴには、ジョージ・プリンプトン(George Plimpton アメリカ人ジャーナリスト・作家・俳優)、アレン・ギーンズバーグ(Allen Ginsberg ビート詩人)、ノーマン・メイラー(Norman Mailer ノンフィクション小説作家)、フランク・オハラ(Frank O'Hara 詩人)、ラリー・リヴァーズ(Larry Rivers 音楽家・俳優・ポップアーティスト)、ウィリアム・スティロン(William Styron 作家)、V・S・プリチェット(V. S. Pritchett 作家・評論家)、ゴア・ヴィダル(Gore Vidal 作家)、アビー・ホフマン(Abbie Hoffman イッピー活動家)、エドマンド・ウィルソン(Edmund Wilson 作家・評論家)、ジョン・レノン(John Lennon)、リンゴ・スター(Ringo Starr)、ローリング・ストーンズ(the Rolling Stones)など、そうそうたる面々との交流の記録が含まれている。
[編集] 作品
[編集] 書籍
- 1958年 - Flash and Filigree
- 1958年 - キャンディ (小説) Candy (メイソン・ホッフェンベルグ Mason Hoffenberg との共著)
- 1960年 - マジック・クリスチャン The Magic Christian
- 1960年 - Writers in Revolt
- 1965年 - Journal of The Loved One(ウィリアム・クラクストン William Claxton との共著)
- 1967年 - Red Dirt Marijuana and Other Tastes
- 1970年 - Blue Movie
- 1992年 - Texas Summer
[編集] 脚本
- 1964年 - 博士の異常な愛情 Dr. Strangelove (スタンリー・キューブリック、ピーター・ジョージとの共同執筆。アカデミー脚本賞ノミネート)
- 1965年 - ラブド・ワン The Loved One(クリストファー・イッシャーウッドとの共同執筆)
- 1965年 - コレクター The Collector (ゴーストライターとして)
- 1966年 - シンシナティ・キッド The Cincinati Kid(リング・ラードナー・ジュニアの部分)
- 1967年 - バーバレラ Barbarella
- 1967年 - カジノ・ロワイヤル Casino Royale
- 1968年 - イージー・ライダー Easy Rider(アカデミー脚本賞ノミネート)
- 1969年 - End Of The Road
- 1970年 - マジック・クリスチャン The Magic Christian
- 1975年 - Stop Thief!(テレビドラマ。ウィリアム・クラクストン William Claxton と共同執筆)
- 1986年 - The Telephone(ハリー・ニルソン Harry Nilsson と共同執筆)
[編集] 出演
- 地球に落ちてきた男 The Man Who Fell to Earth(発射台のジャーナリスト)
- Burroughs(ウィリアム・S・バロウズと)
- コックサッカー・ブルース Cocksucker Blues(ローリングストーンズのドキュメンタリー)
[編集] 外部リンク
- Terry Southern - The Official Site
- "Grooving in Chi" - Terry Southern's Esquire magazine article about covering the 1968 Democratic National Convention with William Burroughs and Jean Genet
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