トキオパーフェクト
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性別 | 騸 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1995年5月20日 |
死没 | (現役競走馬) |
父 | Rahy |
母 | Perfect Probe |
生産 | Edward P.Evans |
生国 | アメリカ合衆国 |
馬主 | 坂田時雄 →吉田勝己 |
調教師 | 古賀史生(美浦) →桜田浩三(岩手) |
競走成績 | 中央28戦7勝 地方47戦9勝 |
獲得賞金 | 2億5673万2000円 |
トキオパーフェクトは、日本の競走馬。主な勝鞍は、クリスタルカップ、中日スポーツ賞4歳ステークス。1990年代後半から、2000年代前半の短距離戦で活躍した。
目次 |
[編集] 戦績
[編集] 連勝街道
1997年11月中山競馬場でデビュー。1マイルの新馬戦を単勝1.9倍の人気に応え快勝した。
明けて4歳となり、ダート1200メートルの自己条件戦では6馬身、マイル戦のオープン特別である菜の花賞では2着に3馬身差をつけるという実力の違いを見せ付けての3連勝を飾った。無敗の3歳王者のグラスワンダーが骨折により離脱していたため、NHKマイルカップの有力候補として話題になりつつあった。 次走は、クリスタルカップ。このレースからシャドーロールを着用した。短距離戦での超の付くハイペースの逃げで名を成したマウントアラタとの先手争いから、直線で一気に抜け出し最終的にはマウントアラタに5馬身の差をつけた。そのスピードは、圧巻の一言だった。
[編集] 第3回NHKマイルカップ
そして迎えた、NHKマイルカップ。この年の外国産馬は早くから高レベルとの評価を得ていたが、中でも力強い競馬を見せてきた無敗馬3頭の対決が注目を集めていた。 1番人気に推されたのは、エルコンドルパサー。芝への適性に対する不安を前走のニュージーランドトロフィー4歳ステークスで完全に払拭。不安材料も無く1頭抜けた人気を集めていた。 2番人気に推されたのは、本馬トキオパーフェクト。3番人気は、ラジオたんぱ杯3歳ステークスでキングヘイローに差し勝ったロードアックス。しかし、5か月ぶりの実戦であることや、初のマイル戦への懸念からやや人気を落としていた。 この他にも、安定した実力を示してきたマイネルラヴやスギノキューティーなど魅力的な伏兵陣も揃っていたが、エルコンドルパサーとトキオパーフェクトの一騎打ちとの見方が大勢だった。 レースでは、2番手を追走し、それを見る形でエルコンドルパサーが進んだ。直線に入り、エルコンドルパサーが早々に抜け出すと急に失速。勝ったエルコンドルパサーから1秒5離された15着と大敗を喫した。 結果として、GⅠのペースではマイル戦には対応できなかった。 余談だが、このレースで2着となったのは、軽視されていたもう1頭の無敗馬シンコウエドワードであった。
[編集] 捲土重来
次走は、NHKマイルカップの雪辱を期しての中日スポーツ賞4歳ステークス。 58キロというこの時期の4歳馬としては酷とも言える斤量を背負ったが、同世代相手の1200メートル戦では敵はいなかった。 高いスピードを生かしての逃げから、直線で一気に加速。2着のキングナムラに3馬身半差の快勝で、単勝1.4倍の人気に応えた。1200メートル戦で見せる圧倒的なスピードから、タイキシャトルとの世代間対決にもこの時期は期待がかけれていた。
[編集] 挫折
この後放牧に出されたが、休養は思いの外長引きスプリンターズステークスにはぶっつけで挑むこととなった。 1998年のスプリンターズステークスは、これが引退レースとなるタイキシャトルが単勝1.1倍の圧倒的人気を集めていた。 トキオパーフェクトは馬体重がプラス22キロと明らかに本調子ではなかったが、この年のモーリス・ド・ゲスト賞を制したシーキングザパール、芝、ダートを問わない短距離の安定勢力ワシントンカラーに続く4番人気に推されていた。 他にも当時の1200メートルのJRAレコードホルダーのエイシンバーリン、この年の高松宮記念馬シンコウフォレストなど好メンバーが揃っていた中でのこの人気は、本馬に期待をかけるファンの多さを示すものだった。 だが、レースでは逃げることもできず、4コーナーでは既に戦意を喪失していた。最終的には、タイキシャトル相手に金星を挙げたマイネルラヴから3秒5離された14着に大敗。 このレースがミソの付き始めとなり、以降は1200メートル戦でも脆さを見せることとなる。
[編集] 凋落
年が明け、1999年の初戦となったガーネットステークスを4着とした後、淀短距離ステークスに出走。アグネスワールドを1馬身抑え、久々の勝利を挙げた。 多くのファンが復活なったと信じ、続くシルクロードステークスでは人気が集中したが、結果はマイネルラヴの10着とまさかの大敗。 本番の高松宮記念でも、キョウエイマーチとの激しい先手争いの末、逃げ潰れてマサラッキの14着。前年のレース振りからは信じ難いような結果に終わった。 半年の休養を経て、復帰戦の根岸ステークスで2着と好走するも、スプリンターズステークスは逃げ潰れて16着としんがり負け。GⅠでは大敗ばかりで、最早ピークは過ぎ去ったという評価が強くなっていた。
[編集] 残光、そして落日
翌2000年の銀嶺ステークスは、鞍上に岡部幸雄を迎えたものの斤量も60キロだったこともあり、オープン特別ながら6番人気に過ぎなかった。 レースは、中団で脚をためるという意外な展開で進んだ。結果としてこの作戦がはまり、先行馬をまとめて差し切り、1年ぶりの勝利を飾った。 高松宮記念でも、後方から鋭い差しを見せ、勝ったキングヘイローから0秒2差の5着に食い込んだ。 脚質転換の成功からこれ以降の活躍が期待されたが、これが重賞の舞台での最後の見せ場となった。
この後は先行して失速、差して伸びずの競馬が続き、2001年のオーロカップの2着が唯一の馬券に絡んだレースだった。 そして、2002年の高松宮記念で後方のまま12着に破れたのを最後に、登録抹消された。 かつてライバルと目されたエルコンドルパサーは既に種牡馬入りして、この年の7月に惜しまれつつ亡くなった中で、 トキオパーフェクトは去勢手術を受け、岩手競馬でひっそりと現役を続行することとなった。
[編集] 奮闘(岩手競馬移籍後)
岩手に移籍してからはいきなりの3連勝を飾り、JBCスプリントに挑みスターリングローズの6着とまずまずのレースを見せた。 この後は、芝、ダートを問わない岩手競馬の安定勢力として活躍し、時折交流重賞に出走してはかつてのファンを懐かしがらせた。 しかし、ここ2走は大きく離されたしんがり負けと、11歳になってさすがに衰えが隠せなくなっており、競走馬としての岐路に立たされている。
[編集] 年度別競走成績
1997年(1戦1勝)
1998年(6戦4勝)
- クリスタルカップ(GⅢ)、中日スポーツ賞4歳ステークス(GⅢ)
1999年(6戦1勝)
- 淀短距離ステークス(オープン)
- 2着 - 根岸ステークス
2000年(6戦1勝)
- 銀嶺ステークス(オープン)
2001年(7戦0勝)
2002年(8戦3勝(内中央2戦0勝))
2003年(7戦2勝)
2004年(14戦3勝)
2005年(11戦1勝)
2006年(9戦0勝)
[編集] 血統表
トキオパーフェクトの血統 (ブラッシングルーム系/Nasrullah4×5=9.38%) | |||
父
Rahy 1985 栗毛 |
Blushing Groom 1974 栗毛 |
Red God | Nasrullah |
Spring Run | |||
Runaway Bride | Wild Risk | ||
Aimee | |||
Glorious Song 1976 鹿毛 |
Halo | Hail to Reason | |
Cosmah | |||
Ballade | Herbager | ||
Miss Swapsco | |||
母
Perfect Probe 1990 黒鹿毛 |
Mr.Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Digger | Nashua | ||
Sequence | |||
Sangue 1978 鹿毛 |
Lyphard | Northern Dancer | |
Goofed | |||
Prodice | Prominer | ||
Euridice F-No.1-b |
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