ハーフィズッラー・アミーン
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ハーフィズッラー・アミーン(1929年 - 1979年12月27日)は、アフガニスタンの政治家、第2代革命評議会議長。カブール刑務所長の息子。パシュトゥーン人、ギルザイ部族連合ハルティ部族出身。
1979年3月29日から副首相。1979年9月16日から12月27日まで、大統領、革命評議会議長、アフガニスタン人民民主党中央委員会書記長。就任当初、聖職者に対して穏健な政策を取ったが、効果がないことを知って大規模な弾圧に転じた。
イスラム原理主義者は、アミーンに対してジハードを宣言し、南部のパクティア州は、事実上、ムジャーヒディーンの支配下に入った。
アミーン政権に事態を収集する能力がないことを見て取ったソ連指導部は、バーブラーク・カールマルを彼に代えることに決めた。1979年12月27日、大統領宮殿を襲撃したソ連KGBの特殊部隊員により殺害。
カテゴリ: アフガニスタンの政治家 | 1929年生 | 1979年没