パリ外国宣教会
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パリ外国宣教会(Missions Etrangeres de Paris)はパリミッション会とも呼ばれ、フランスのパリに本部を置くカトリック教会の男子(司祭)の宣教会。1653年にフランソワ・バリューによって設立されたカトリック最古の宣教会で、当初より東アジアの宣教を担当している。明治以降の日本のカトリック教会の再建に携わった。略称MEP。
[編集] 会の概要
入会の条件はフランス語を母国語とするカトリック司祭である事で、会員にはフランス人の他ベルギー人、スイス人などがおり、近年は非フランス語圏のインド人、韓国人等アジア系の入会も認められ、現在日本において韓国人の司祭(宣教師)も活動している。現在、同会の日本管区本部は東京教区司教座聖堂の近くにあり、21世紀初頭の現在も40名余りの会員が北海道から九州までの日本全国で働いている。
[編集] 日本宣教史
日本は17世紀以来、弾圧が徹底し、長らく布教の術がなかったが、状況が変わり始めたため、1838年にヴァチカンの布教聖省の委託により、パリ外国宣教会は日本へ再宣教の準備を開始した。1844年フォールカド神父が琉球に入り、日本語を勉強しながら日本入国の機会を狙った。1858年(安政5年)、幕府は米・英・蘭・露・仏5か国と修好通商条約を締結し、外国人居留地内に限っての教会建設を認めた。これをうけて1859年9月、横浜にジラール神父が上陸。1863年にフェーレ神父が長崎に赴いた。1864年(元治元年)12月29日、長崎に大浦天主堂を完成し、フェーレ神父にかわって天主堂を完成させたベルナール・プティジャン神父が初代主任司祭となった。
その三ヵ月後の翌1864年(慶応元年)イサベリナ杉本ゆりら長崎浦上村の隠れキリシタン達がフランス寺と呼ばれた同天主堂を訪れて信仰を告白し、隠れキリシタンたちの存在が明らかになった。このニュースは250年間の迫害を超えたキリシタン発見として世界に大きな驚きをもって伝えられた。翌年、プティジャンは再宣教後初の日本司教となり、大浦天主堂は1933年(昭和8年)に日本最古の西洋建築として国宝に指定された。