ピーター・フォーク
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ピーター・フォーク (Peter Falk, 1927年9月16日 - ) は米国の男優。
ニューヨーク州オシニング生まれ。父親はロシア系ユダヤ人、母親はポーランド=チェコ=ハンガリー系ユダヤ人。シラキュース大学卒。米国で製作・放映されたミステリTVドラマ「刑事コロンボ」の主役俳優として知られている。
本名は Peter Michael Falk。
1958年に「ジャングル・ガードマン」で映画デビューした。60年代から70年代にかけては鬼才・ジョン・カサヴェテスと組みシリアス路線が主だったが、70年代から80年代以降にかけてはTVドラマにも活躍の場を広げ、コミカルな中年俳優として多くのファンを獲得した。なかでもよく知られる代表作、ドラマ「刑事コロンボ」には1968年の第1作の「殺人処方箋」から2003年放送の作品まで69作に出演。4回にわたりエミー賞(主演男優賞)を受賞した。なお3才の時の腫瘍のため右目は義眼を入れており、少年時代はリトルリーグの審判に不本意な判定を下されると自ら義眼を取り出して審判に振り回して見せ「目ン玉ついてんのかよ、これ(義眼)が必要なのはお前のほうじゃねえのか?」と叫んだことがあった。コロンビア映画社長のハリー・コーンからは好かれておらず、「どうせ同じカネを払うなら両眼が揃っている役者を使うよ」と言われてオーディションで落とされたこともある。
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[編集] 略歴
10代の頃から演劇に親しんでいたといわれる。戦後に、一度退学していたハミルトン大学で学びなおし、政治学の修士号を得、予算局に勤務。その後、演劇の世界に戻るため稽古を再開し、舞台に立ち始めた。
1950年代、オフ・ブロードウェイからブロードウェイに進出、1956年以降は映画やTVにも手を広げるようになった。頭角を現したのは1960年の『殺人会社』。冷徹な殺し屋役が注目されアカデミー助演男優賞にノミネート。続く1961年『ポケット一杯の幸福』では打って変わってコミカルな役柄で再び2年連続で同賞にノミネートされた。また舞台・ドラマ双方で好評を得た『トマトの値段』で複数の主演男優賞に輝くなどし、以降、スターダムに駆け上がり大作映画では名脇役ぶりを発揮する一方で、TVドラマでは単発ものやミニシリーズでの主演を多くこなした。1965年、TVシリーズ『The Trials of O'Brien(原題)』での、スマートな弁護士役が人気となる。翌年には同シリーズの劇場公開版も製作され、日本でも顔が知られるようになった。1968年には『シカゴシティ物語』に主演。殺し屋から足を洗おうと新生活の場を求め、やがて年の離れた留学生と恋に落ちる陰のある中年男性を好演、新境地を開く。
その後、彼のキャリアで一躍有名になった代表作『刑事コロンボ』シリーズがスタート。78年に一度終了したものの1989年より新シリーズが復活。2003年に久々の新作が放送され69作目を数えるがその後シリーズは製作されていない。
70年代以降は、ジョン・カサヴェテスとの和解と確執を繰り返しながらも公私に渡る関係を築き、『ハズバンズ』や『こわれゆく女』、『ピーター・フォークのビッグ・トラブル』に主演した。また、異色実録ドラマ『ブリンクス』では実際に体重を大幅に落とし、実在した犯罪王トニー・ピノの半生を体当たりで熱演して注目を集める。その後は1981年の主演作『カリフォルニア・ドールズ』や1988年の主演作『ピーター・フォークの恋する大泥棒』などが代表作となり、コミカルで時にアクの強いダンディな中年俳優として広く親しまれた。また、この時期以後、自らの主演作で若手スターやアイドル歌手らとも共演し脚光を浴びている。
90年代から2000年代は、ライフワークとなっているコロンボをしばしば演じながら、新たな役柄にも挑戦。70歳を過ぎてからは、一家団欒を描いたホームドラマなどで頑固で嫌煙される反面、人間味溢れる大黒柱のような役柄が定着。記憶に新しい主演作としては、2003年の『ワイルダー・デイズ』に代表されるようなキャラクターがお茶の間で好評を得る他、同年の主演作『25年目のハッピー・クリスマス』においても、見た目は心優しい紳士でありながら正体は「天使」という難役を力強く名演。説得力ある存在感で、より渋味を増した魅力を披露。その後も、日本未上陸ではあるが2006年までに実に4作もの主演作をこなすなど、寄る年波を感じさせないエネルギッシュな活躍ぶりを見せている。
尚、俳優業の傍らで画家としても腕前を発揮。当初は、日曜画家的な範囲の活動であったが、次第にファンの間で評判が広がり支持を集めた。主に静物画や人物肖像画などを得意とし、対象物を大胆にデフォルメした現代アート風の絵画も手がけるなど、レパートリーは多岐に及ぶ。過去にも夥しい数のスケッチを公開し、日本では北海道などで幾度か個展が開かれたほどである。時には、自らの映画のなかでフォーク自身が実際にスケッチを描いたりするシーンや、オリジナルの自画像が劇中に登場する作品も幾つか見られる。またフォーク本人の公式サイトでも、絵画作品を鑑賞、購入することができ、世界中のファンに向けて詳細な情報発信を行なっている。
[編集] 出演作品
[編集] 映画・TVドラマ
- 「ジャングル・ガードマン/エヴァグレイズを渡る風」Wind Across the Everglades(1958年)
- 「紫暗礁の秘密」The Secret of the Purple Reef(1959年)
- 「殺人会社」Murder Inc.(1960年)
- 「悪の実力者」Pretty Boy Floyd(1960年)
- 「トマトの値段」(1961年)
- 「ポケット一杯の幸福」Pocketful of Miracles(1961年)
- TVドラマ「ミステリー・ゾーン/鏡」(1962年)
- TVドラマ「Wagon Train(原題)」(1963年)
- 「おかしなおかしなおかしな世界」It's a Mad Mad Mad Mad World(1963年)
- 「七人の愚連隊」Robin and the Seven Hoods(1964年)
- 「グレート・レース」The Great Race(1965年)
- TVドラマ「The Trials of O'Brien(原題)」(1965年)
- 「泥棒がいっぱい」Too Many Thieves(1966年)
- 「美人泥棒」"Penelope"(1966年)
- 「アンツィオ大作戦」The Battle for Anzio(1968年)
- 「シカゴシティ物語」 (1968年)
- TVドラマ「刑事コロンボ」「新・刑事コロンボ」(1968~78年、1989~2003年)
- 「明日よ、さらば」Gli Intoccabili(1969年・伊)
- 「大反撃」Castle Keep(1969年)
- 「ハズバンズ」Husbands(1970年)
- 「金庫破り」A Step Out of Line(1970年)
- 「シシリー要塞異常なし」Rosalino Paterno, Soldato(1972年・伊+ユーゴスラビア)
- 「こわれゆく女」A Woman Under the Influence(1974年)
- 「恋人たちの絆」Griffin and Phoenix: A Love Story(1976年)
- 「マイキー&ニッキー/裏切りのメロディ」Mikey and Nicky(1976年)
- 「名探偵登場」Murder by Death(1976年)
- 「オープニング・ナイトOpening Night(1977年)
- 「ブリンクス」The Brink's Job(1978年)
- 「名探偵再登場」The Cheap Detective(1978年)
- 「あきれたあきれた大作戦」The In-Laws(1979年)
- 「カリフォルニア・ドールズ」The California Dolls(1981年)
- 「ビッグ・トラブル」Big Trouble(1986年)
- 「ベルリン・天使の詩」Der Himmel Uber Berlin (1987年・西独+仏)
- 「プリンセス・ブライド・ストーリー」The Princess Bride(1987年)
- 「恋する大泥棒」Happy New Year(1988年)
- 「私のパパはマフィアの首領(ドン)」Cookie(1989年)
- 「ラジオタウンで恋をして」Aunt Julia and the Scriptwriter Tune in Tomorrow(1990年)
- 「霊感コメディ/イン・ザ・スピリッツ」In the Spirit(1990年)
- 「ザ・プレイヤー」The Player(1992年)
- 「時の翼にのって」Faraway, So Close!(1993年・ドイツ)
- フジテレビ金曜ドラマシアター「人間の証明」(1993年)
- 「最高のルーム・メイト」Roommates(1994年)
- 「サンシャイン・ボーイズ/すてきな相棒」"The Sunshine Boys"(1995年)
- 「PRONTO(原題)」(1997年)
- 「Money Kings(原題)」(1998年)
- 「ストーム・イン・サマー」(2000年)
- 「消滅水域」"Lakeboat"(2001年)
- 「コーキー・ロマーノ FBI潜入捜査官?」Corky Romano(2001年)
- 「デッドロック」Undisputed(2002年)
- 「最高の贈り物」A Town without Christmas(2002年)
- 「失われた世界」The Lost World(2002年・米+英)
- 「ワイルダー・デイズ」(2003年)
- 「25年目のハッピー・クリスマス」(2003年)
- 「Checking Out (原題)」(2004年)
- 「The Thing About My Folks(原題)」(2004年)
- 「When Angels Come to Town(原題)」(2004年)
- 「シャーク・テイル」Shark Tail(2004年・声の出演)
- 「The Book of Joe(原題)」 (2005年)
- 「Retirement(原題)」 (2006年)
[編集] アニメ、声の出演
- 「Hubert's Brain(原題)」(2001年)
- 「シャーク・テイル」(2004年)
[編集] CM
[編集] 舞台
- 「MR.PETERS' CONNECTIONS(原題)」
- 「MAKE AND BREAK(原題)」
[編集] 備考
- 「ポケット一杯の幸福」撮影時のこと。当時、新進気鋭の舞台俳優で鳴らしていたフォークであったが、与えられた役柄を巡って製作側と対立したときがあった。「自分は、あくまで演技者であり、コメディアンのような真似事はやらない」と主張したのだ。その時代に培われたプライドがそう言わせたのだろう。だが、イタリア・シチリア出身の監督フランク・キャプラはフォークに対し「それでいい。シリアスにコミカルを演技すればいいんだ」と宥めたそうだ。このひと言で、まさに後年の名優は救われたといっていいだろう。言うまでもなくこの作品でのコミカルな役どころは2年連続のオスカーノミネートに繋がっただけではなく、コロンボをはじめとするキャリアに培われていくことになるのだから。
- 「刑事コロンボ」は世界各国で人気を博した。特にドイツでは視聴率が50パーセントを超える程の人気だったそうである。ドイツの映画監督・ヴィム・ヴェンダースの代表作、『ベルリン・天使の詩』(1987年)では、ピーター・フォーク本人役として出演している。フォークがベルリンの街を歩くと、「コロンボだ、コロンボだ」と大人から子供まで道行く人から声をかけられるシーンがある。
- 青年期に一時ポーランド出身の舞台俳優ロス・マーティンに師事したことがあった。同氏は後年、教え子の代表作「コロンボ」シリーズの一編「二枚のドガの絵」でゲスト出演を果たし、美術評論家(犯人)役としてコロンボと対決している。
- ピーター・フォーク自身は、俳優としてだけでなく、絵画にも造詣がある人物として通っているが、日本のファンの間では当初、認知度があまり高くは無かった。だが、『ベルリン・天使の詩』の中では、ピーター・フォーク本人役ということもあり、セルフパロディなのか、自らエキストラたちをスケッチしたりするシーンを演じている(この時は、あまり気に入らなかったのかスケッチの絵をモデルに見せようとせず、自身の絵をケナしている)。更に、姉妹篇である1993年の『時の翼にのって』に至っては、個展を開いている姿が映され、ファンに感激の挨拶をされながらも「こんな猿真似をアートとは・・・」などと、ここでも6年前同様、自嘲気味にボヤいたり、ミケランジェロを引き合いに出しウィットする台詞を口にしている。また、有名人ではライザ・ミネリなどの肖像を描いた事もあるという。
- 俳優ピーター・フォークは、日本においても縁のある人物で、親日家としても通っている。俳優としても日本のTVドラマに出演したり、CMにも登場。90年代は、サントリーとトヨタのCMが知られ、前者では「CMピーターズ・バー」シリーズのオシャレなバーのマスター役で登場。小噺をユーモラスに披露する回や、失恋して泣いている女性を口説きたい気持ちを抑え、ジェントリーになぐさめる回などが放送されたほか、後者ではコロンボ警部を連想させるキャラクターで登場し、セールスポイントを説明しながらカメラ(というより視聴者)をしつこく追いかけて「あ、それからもうひとつ~」と名調子を話していた。ただ、両方とも音声は吹き替えであり、実際に同じ台詞を話しているのかは不明。ちなみに吹き替えは、石田太郎氏が担当していた。また近年も同氏の声で「ウチのカミさんがね~」というくだりで、『湯の川プリンスホテル渚亭』のCM(一部地域)をあたかもコロンボに扮したフォークがやっているように見えるものも見られるが、これは石田氏の声だけのようで、フォーク自身は出演していない。ちなみに2005年5月1日から一年間の放送期限であったようだが、好評であるからなのか期間を過ぎても尚、TVで観る事ができる。
- 「刑事コロンボ」を意識したと言われる日本のテレビドラマ『古畑任三郎』で主演した田村正和が、偶然ピーター・フォークに出くわしたというエピソードがある。田村が仕事でニューヨークを訪れていた際、あるホテルの宿泊者専用のラウンジで休憩していたところ、斜めの席にピーター・フォークが座っていた、というのだ。これは田村本人がインタビューの中で明かした。
[編集] 外部リンク
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