フリードリヒ3世 (マイセン辺境伯)
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厳格伯フリードリヒ3世(Feirdrich III. der Strenge, 1332年12月14日 ドレスデン - 1381年5月21日 アルテンブルク)は、マイセン辺境伯フリードリヒ2世(深刻伯フリードリヒ)の息子として生まれた。
1349年、彼は、弟であるバルタザール、ヴィルヘルム1世とともに父の領土であるマイセン辺境伯とテューリンゲン方伯を受け継いだ。彼の妻のカテリーナは、嫁資としてヘンネベルク伯爵領のかなりの部分(コーブルクを含む)を彼にもたらした。彼は、さらにエルガースブルク、ツェルビヒ、ランツベルク辺境伯領の一部、ザンガーハウゼン市を購入して獲得している。しかしプラウエンの代官とシュヴァルツブルク伯爵は武力でこれを割譲するよう迫った。彼はヘッセン方伯ハインリヒ2世との間のシュテルナー盟約を破棄している。
フリードリヒは1381年5月21日にアルテンブルクで亡くなった。彼はカテリーナ・フォン・ヘンネベルク(1397年没)と結婚し、ザクセン選帝侯フリードリヒ1世、マイセン辺境伯ヴィルヘルム2世、ゲオルクの3人の息子をもうけた。