ブラニフ航空
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ブラニフ航空(Braniff International Airways)は、1928年から1982年の間に営業していたアメリカの航空会社である。先端的なブランド戦略で他社とは一線を画し、今でもファンの多い航空会社である。
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[編集] 歴史
[編集] 創成期
1928年にポール・R・ブラニフとトーマス・E・ブラニフの兄弟によって「ブラニフ・エアウェイズ」の名で創業された。その後アメリカ中西部において航空郵便業務を展開し、航空運送の発展とともに1930年代半ば頃にはシカゴやメキシコとの国境付近までその路線を拡張した。
[編集] 成長期
その後は、当時の最新鋭機であるダグラスDC-2やDC-3を導入しアメリカ国内路線を次々に拡充する。第二次世界大戦後にはカリブ海諸国や南アメリカ諸国への国際線の開設の認可を取得し、併せて社名を「ブラニフ・インターナショナル・エアウェイズ」に変更する。
1959年には当時の最新鋭機であった大型ジェット旅客機、ボーイング707を導入。その後も同機のライバルのダグラスDC-8やイギリス製の中・短距離ジェット機のBAC-111などを相次いで導入し、1960年代中頃には殆どの所有機をジェット旅客機が占めるようになった。
[編集] "The End of the Plain Plane"
国内外における競争が激化する中、1965年にはコンチネンタル航空の副社長であったハーディング・L・ローレンスを招く。ローレンスは、他社との差別化を打ち出すべく、広告代理店の役員であったメアリー・ウェルズを広告担当重役に招き、中規模広告代理店であるジャック・ティンカー&パートナーズをパートナーに、ウェルズの知人であった著名なデザイナーのエミリオ・プッチとアレクサンダー・ジラールとともに「"The End of the Plain Plane"(退屈な飛行機の終焉)」キャンペーンを企画する。
手始めに、これまでの他社と比べて代わり映えのしない塗装を、「ジェリー・ビーンズ・フリート」をテーマに、ベージュ、黄土色、オレンジ、ターコイズ、ベビーブルー、ミディアムブルー、レモンイエローとラベンダーの各色に塗りわけ、合計15種の塗装を自社機材に施した。この塗装の導入に併せて、エミリオ・プッチがデザインした客室乗務員の制服を導入する。その後、機内や空港のカウンター、オフィス内も同じコンセプトを元に塗り別けられた。
1973年にはアレクサンダー・カルダーを招く。1975年にカルダーは、『空飛ぶ色彩(Flying Colors)』塗装をDC-8に施し、パリ・エアショーでデビューさせる。さらにカルダーは、翌年のアメリカ独立200周年を記念する特別塗装としてスペシャルカラーのボーイング727、"Flying Colors of the United States"を就航させた。さらに3機目の『メキシコへのトリビュート』も就航予定であったが、カルダーの急死によりデザインが完成せず中止された。
また、芸術家のアンディ・ウォーホールとボクシング世界チャンピオンのソニー・リストンなどの著名人を登用した広告シリーズを展開するなど、派手な広告展開も同時に行い、1960年代後半から1970年代にかけて最も成功した航空会社の1つとなった。同時に路線も拡張し、当時最新鋭の超長距離機材であったボーイング747SPを導入し、大韓民国のソウルやアルゼンチンのブエノスアイレス、ペルーのリマ、ブラジルのリオデジャネイロなど世界各国へ乗り入れたものの、日本への定期便による乗り入れは行われなかった。
[編集] コンコルド運行
1979年には、ブリティッシュ・エアウェイズとエールフランス航空がそれぞれロンドンとパリからワシントンD.C.に乗り入れるコンコルドを、ワシントンD.C.からダラスの区間を引き継いで共同運航した。しかし、超音速飛行時に発生する衝撃波に対する反対運動などから、アメリカ大陸上空における超音速飛行が許可されなかった上、当初の思惑に反し乗客が集まらなかったことから共同運航は短期間で中止された。
[編集] 破産
1960年代から1970年代後半にかけて拡張政策を取り続けていたものの、ジミー・カーター政権が1978年に導入した航空自由化政策(ディレギュレーション)の導入後の国内外路線における競争激化や低価格競争、さらにイラン・イラク戦争の勃発による燃料の高騰により大きなダメージを受け急速に経営状態が悪化し、1982年5月11日に破産を宣告され、翌12日に全ての便の運行を停止した。
[編集] 復活
その後ハイアット・ホテル経営者一族のジェイ・プリツカーが音頭を取り、パンアメリカン航空が発注したものの同社の倒産により受領されなかったエアバスA320型機2機により1989年に再度同名で運行を開始するが、まもなく湾岸戦争による乗客減などを受け運行を停止した。その後1991年に復活するものの、こちらもまもなく運行を停止した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- BraniffPages.com - a website about the entire history of Braniff by Brooke Watts
- BraniffInternational.com - The airline's culture by Carlos Yudica
- thebranifffamily.org - Braniff employee organization run by Carl and Carrie Shea
- biseonline.com - "Braniff International Silver Eagles" Retired Pilots Official Site
- BraniffInternational.org - The airline's history by Ian Nicholson