プリンス・オブ・ウェールズ (戦艦)
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艦歴 | |
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起工: | 1937年1月1日 |
進水: | 1939年5月3日 |
就役: | 1941年1月19日 |
その後: | 1941年12月10日戦没 |
除籍: | 1941年12月10日 |
性能諸元 | |
排水量: | 基準:36,727t 満載:43,786t |
全長: | 227.1m 225.6m(水線長) |
全幅: | 34.3m |
吃水: | 10.8m |
機関: | 蒸気タービン4基4軸 125,000馬力 |
最大速: | 28ノット(1941年公試時) |
航続距離: | 3,100カイリ(27ノット時) |
乗員: | 1,521名 |
兵装: | 35.6cm4連装砲塔2基、連装砲塔1基 13.3cm連装両用砲8基 40mm8連装ポンポン砲 |
プリンス・オブ・ウェールズ(HMS Prince of Wales)は英国海軍の戦艦。キングジョージV世級の2番艦。35.56cm(14インチ)砲を4連装2基(前部、後部に各一基)連装1基(前部に配置)の10門装備が特徴。艦名は代々の英国皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)に由来。
目次 |
[編集] 艦歴
プリンス・オブ・ウェールズはキャメル・レアード社バーケンヘッド造船所にて、ワシントン海軍軍縮条約明け直後の1937年1月2日に建造を開始し、1939年3月3日進水する。艤装途中の1940年8月にはドイツ空軍の攻撃を受ける。1941年1月19日にジョン・リーチ艦長の指揮下就役したが、3月31日まで完成しなかった。
本艦はチャーチル首相のお気に入りであり、就役直後は世界最強と彼に言わせた戦艦であった。まだ十分慣熟訓練が出来ていない中、第二次世界大戦に投入されることになる。1941年5月24日に最初の戦闘に遭遇し、通商破壊を目論んでライン演習作戦で大西洋に進出してきたドイツ海軍の戦艦ビスマルクと重巡洋艦プリンツ・オイゲンを、巡洋戦艦フッドとともに迎え撃ち、砲撃戦を行った。この海戦ではフッドがビスマルクの砲撃を受け、一瞬にして轟沈し、ウェールズも被弾・損傷して退避した。ビスマルクはその後フランス沖で英国空母機ソードフィッシュの雷撃で舵を損傷し行動不能になった後、英国艦隊の集中攻撃を受け沈没している。
[編集] 撃沈
修理後 チャーチル首相の指示で巡洋戦艦レパルスと共に英国東洋艦隊に派遣されることとなり、東洋艦隊旗艦としてシンガポールに配属され、日本南下の脅威に備える。
太平洋戦争開戦直後の1941年12月10日、日本海軍航空機(九六式陸攻、一式陸攻)の雷撃及び爆撃により、僚艦レパルスと共にマレー沖にて沈没した(マレー沖海戦)。
これ以前のタラントや真珠湾では停泊中の戦艦が航空攻撃により沈められたが、港に停泊中を奇襲され充分な対応ができないうちに被害を受けた結果であった。しかし、マレー沖では充分な装備を持ち、万全の準備を行っていた行動中の戦艦が航空機の攻撃だけで撃沈された。対空砲多数を装備した新式戦艦でも、航空機の攻撃には勝てない事が明らかになった。
この撃沈の報告を聞いた英国首相チャーチルは、「あの艦が!」と絶句し、「戦争全体で(その報告以外、)私に直接的な衝撃を与えたことはなかった」と著書の第二次世界大戦回顧録で語っている。
[編集] 同型艦
- キングジョージV世
- デューク・オブ・ヨーク
- アンソン
- ハウ
[編集] 外部リンク
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