ポツダム協定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポツダム協定(~きょうてい)は、1945年8月2日に「ポツダム会談」においてアメリカ合衆国・英国・ソビエト連邦の間で締結され、第二次世界大戦後のヨーロッパの処理、主にドイツの戦後統治についての取り決めが行われた。
[編集] ポツダム協定の概要
協定の主な概要は以下の通りである。
このことでドイツは、北西部を英国・南部を米国・南西部をフランス・東部をソ連の4つに分割されて統治されることとなり、またベルリン市も4カ国による分割統治が決定され、それぞれ東ドイツ、西ドイツへと分断されていく。
またドイツ領土は大きく削られることとなり、アルザス・ロレーヌはフランスに編入され、オーデル・ナイセ線以東がポーランドに編入となり、この結果ポーランドの東側とケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード州)がソ連領土に組み込まれていく。