ポール・ギルバート
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ポール・ギルバート(Paul Gilbert、本名はPaul Brandon Gilbert 1966年11月6日生)はアメリカのギタリスト、ミュージシャン、作曲家。
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[編集] 略歴
- 1966年11月6日にアメリカのイリノイ州カーボンデール市にて生まれる。3歳のときにペンシルバニア州に家族で引越し、そこで育つ。
- 幼い頃からビートルズやジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン、ヴァン・ヘイレンなどの音楽を愛聴する一方、クラシック音楽もよく聞いていたらしい。9歳にして音楽活動を開始する。高校を卒業後、ロス・アンゼルスにあるギター専門学校MIのGITに入学し、卒業後には同校の講師をつとめていた。1986年にヘヴィ・メタルバンド「レーサーX」を結成し、地元を中心に活動する。GIT仕込みの超絶テクニックが呼び物だったこのバンドはすぐに有名となり、ポールは一躍ギターヒーローとして注目されるようになる。
- 「レーサーX」として2枚のアルバムを製作した後にベーシストのビリー・シーンと出会い、MR.BIGを結成する。このバンドはボーカルのエリック・マーティン、ドラマーのパット・トーピーを加え、1989年にデビューする。それと同時に日本で人気を獲得し、その後彼らは度々日本公演を行う事になる。
- 1997年にバンドが活動停止になった後、ポールはソロ活動を始める。そこで自分の原点を見つめなおす事になった彼は、MR.BIGに戻ることなく、以後ソロ活動に専念する事になる。
- 1999年には「レーサーX」を再結成し、新作をリリースする。80年代の活動当時のラインナップの再現にこだわった彼だったが、ツインギターの相方を組むブルース・ブレットは腱鞘炎を理由にギタリストからローディーへと転職しており、完全再現にはならなかった。
- 2003年には、MIの姉妹校、MI JAPANの校長に就任する。
- 2006年夏に、自身のキャリアとしては初めてのオール・インストアルバムを発売。
[編集] 音楽性
- GITで培ったテクニックは確かなもので、特に日本ではいわゆるテクニカルなギタリスト、またはいわゆるギターヒーローの象徴として見る向きもある(本国アメリカでは日本ほどの人気は得られなかったので必ずしもそうではない)。エディー・ヴァンヘイレンに影響されたと自身で語っている事からも分かるように、速弾き、タッピング、スウィープなどのハードロック色の強いテクニカルなプレイを得意としている。その一方で、ビートルズなどのポップな音楽も好んでおり、彼の書く曲はメロディーセンスに優れているといえる。
- レーサーX~MR.BIGの初期の頃まではテクニカルなプレイが目立っていたが、バンド中期以降はテクニカルさが抑えられている代わりにブルージーなプレイに挑戦したり、アコースティックなプレイが目立つようになる。ソロに転じてからは自身の叔父とブルースのアルバムを製作したこともある。
- ユーモアに富んだ人物でもあり、アイデアは豊かである。例えばMR.BIGの代表曲の一つでもある「Green Tinted Sixties Mind」ではイントロのメインフレーズを全てタッピングで弾ききったり、また「Take Cover」では一風変わったドラムパターンを自ら考案したことなどがよい例である。どちらの試みも、結果的にはそれが曲の「顔」となっている。他にもソロ作品では、特別なチューニングにチャレンジしたり、ドリルを使いまるで超高速でピッキングしてるような音を出したり、100本という常識ハズレの数の異なるギターを一つの曲に録音するなど、常に遊び心のある挑戦をしている。
- MR.BIG初期の頃からアイバニーズ製のギターをずっと愛用しており、彼のトレードマークともなっている。ピックアップ(弦振動を電気信号に変換する装置)の横に描かれたFホールが特徴的だが、これはバイオリンからヒントを得たものらしい。
- アイバニーズ社が、ポールのシグネチャーモデル(ギタリストの名前を冠し、その仕様に至るまで本人の嗜好を反映させたもの)を開発するときに、ポールに希望を訊いたところ、デザインと色には次々と注文を出すものの、肝心のネックの仕様や電気系統の設計に関しては一向に関心をしめさなかったという。これは完全な意識の違いであり、「自分独自の音は『ギター』ではなく『手』で奏でるもの」という、根本的な「弘法筆を選ばず」思想から来るものであり、そういう意味では最低限の楽器としての性能さえクリアしていれば、あとはどんな構造でも関係ない。よって重要なのはデザインとか色が自分の好みかどうかということである。日本のギタリストからしてみれば異質の思想だが、欧米の一流ギタリストに、これと類似した思想をもつ者は少なくない。
- スキッピングというギターのテクニックを最大限まで極め、スキッピングをひとつのギターのテクニックとして確立させたのは彼による功績が大きい。
- 小さなスウィープピッキングが苦手らしく、同じようなフレーズを弾くときは大概スキッピングで弾く。ポールは「小さなスウィープピッキングの連続はリズムが狂いやすい」と発言しているが、昔のRACER-X発表のSECOND HEAT収録「MOTOR MAN」イントロ部では小さなスウィープピッキングを連発している。矛盾しているが謙遜だろう。それに対し大型スウィープは比較的得意と思われる。アルバムKING OF CLUBS収録されている「THE JAM」では大型スウィープを連発させまくっている。
[編集] ディスコグラフィ
- KING OF CLUBS (1997年)
- FLYING DOG (1998年)
- BEEHIVE LIVE (1999年)
- ALLIGATOR FARM (2000年)
- BURNING ORGAN (2002年)
- PAUL THE YOUNG DUDE - THE BEST OF PAUL GILBERT (2003年)
- GILBERT HOTEL (2003年) …上記ベスト版の初回ボーナスCDを単独発売
- アコースティック侍(2003年)
- SPACE SHIP ONE (2005年) …#10「僕の頭」で日本語での作詞に挑戦
- GET OUT OF MY YARD (2006年) …全編インストゥルメンタル作品
[編集] 逸話
- 初めて買ったレコードは中古で買ったビートルズのレコードで、買ったときには盤面が泥だらけだったためにそれを洗い流さなければならなかった、というのはファンの間では有名な話である。
- レーサーX時代にレンタカーを借りてツアーに出たが、他の州を回っている途中でガス欠になってしまった。そのとき立ち寄ったガソリンスタンドで法外な値段をふっかけられた彼らは「レンタカー会社にこの額を請求しよう」といって領収書を送りつけた。しかし実は彼らはそのレンタカーを借りるときに少しでも料金を抑えるために州内でしか走れない契約で借り出しており、州外で運転したことがばれてしまい逆に罰金を請求された、というエピソードを再結成時のときのレーサーXのアルバムのライナーノーツにて明かしている。
- 「レーサーX」という名前はアメリカで放送されていた『マッハGoGoGo』のキャラクターの名前から取ったとの事。
- 2002年にMR.BIGが解散コンサートのツアーで来日しているときに、奇しくもポールもレーサーXで来日ツアーの真っ最中であり、一部のファンの間では「公演最終日でポールも飛び入り参加するのでは?」という期待があったが、結局ポールは飛び入りしなかった。
- 大の親日家としても知られ、一時期駒込、四谷など日本に住んでいたこともあった。妻は日本人。MI JAPANの校長に就任した背景にはそういった要素も影響しているものと思われる。
- レーサーXSuperheroes収録曲、Viking Kongはイングヴェイ・マルムスティーンとレコーディングする予定だったが、レコーディング予定の日にイングヴェイは姿を現さず、結局ポールだけでレコーディングした。ちなみにこの曲のタイトルのVikingはイングヴェイのこと。
- フジテレビの音楽番組、『LOVE LOVEあいしてる』出演時に出演者に北風一郎という日本人名をつけてもらった。北風一郎の名刺やピックもある。しかしほとんど呼ばれる事はない。
- 一時期そのプレイの類似性や技術面からバケットヘッドではないかと噂されたが公式ホームページでそのことを否定している。バケットヘッド自身ポールのレッスンを受けたことがある(と言われている)ため、プレイスタイルに類似が見られるようになったと思われる。余談だがスティーヴ・ヴァイもバケットヘッドではないかと噂されたことがある。
- イラストが得意で、色紙やライナーノーツに度々登場する。MR.BIG在籍時代、シングルのジャケットの絵も手がけた事がある。誰の似顔絵を描いても唇が異様に大きいことが特徴。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- PaulGilbert.com:本人の公式サイト
- Mr.Big Official Site:MR.BIGの公式サイト
- The Official Site of Racer X:レーサーXの公式サイト
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