マーク・ブランデル
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F1での経歴 | |
国籍 | イギリス イングランド |
活動年数 | 1991 , 1993 - 1995 |
所属チーム | ブラバム, リジェ, ティレル, マクラーレン |
出走回数 | 61 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 32 |
表彰台(3位以内)回数 | 3 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1991年アメリカGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1995年オーストラリアGP |
マーク・ブランデル(Mark Blundell, 1966年4月8日 - )は、イギリス生まれの元F1ドライバー。
目次 |
[編集] F1以前
元々モトクロスのライダーであったが、1984年にイギリスフォーミュラ・フォード1600に参戦し、4輪レースのキャリアが始まった。
1987年から1989年にかけて、国際F3000選手権に参戦。1988年にはシリーズ2位に輝いた。
1989年/1990年には、日産からWSPC(世界スポーツプロトタイプカー選手権)に、1992年にはプジョーからSWC(スポーツカー世界選手権)に参戦。
[編集] F1
1990年にウィリアムズでF1のテストドライバーを務めた後、1991年にブラバムから参戦。しかし、チームの財政状況は悪く、入賞は1回。その年をもってチームを離れ、翌年はマクラーレンのテストドライバーを務めた。
1993年にリジェから再参戦。ブラバム時代のチームメイトだったマーティン・ブランドルと再びコンビを組むことに。この年は表彰台に2度上がるなど、ブランドルと共に活躍、チームをランキング5位に押し上げた。1994年にはティレルに移籍、片山右京とコンビを組んだ。速さでは右京の陰に隠れたものの、最終的な獲得ポイントでは右京を上回っている。
1995年には、再びマクラーレンのテストドライバーとなる。しかしナイジェル・マンセルが開幕2戦を欠場したために、代役として走行。更にマンセルは、マシンの出来を不服とし、その後2選を走ったのみでチームを離脱。代役として、ブランドルが最終戦までステアリングを握ることとなった。
[編集] CART
その後彼を求めるチームは無く、1995年をもってF1を去り、アメリカのCART(チャンプカー)に活躍の場を求めた。1996年から2000年まで、CARTのパックウェストより参戦。1997年にはシリーズ3勝を挙げる活躍を見せたが、その後は目覚しい活躍を見せることは出来なかった。
[編集] その他の経歴
1990年には、日産・R90CKでル・マン24時間レース・ポールポジションを獲得。1992年には、プジョー905を駆りル・マンで優勝を果たした(当時のチーム監督はジャン・トッド)。
現在はドライバーを引退し、解説者として活動している。