モシェ・カツァブ
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モシェ・カツァブ (ヘブライ語:משה קצב、音写:Moshe Katsav(Mōshéh Qaŝŝābh)、1945年12月5日- )は、イスラエルの政治家で大統領(2000年7月31日 - )。イランのヤズド Yazd で生まれたユダヤ人。
幼児期はイランの首都であるテヘランで過ごしたが、1951年に6歳でイスラエルに移住。移住後は中東からの帰還ユダヤ人であるミズラヒムの社会に属し、右派政党のリクード党員となり、小さな町の町長を経てクネセト(国会)議員に当選した。一般にイスラエルの政治家エリートには軍歴が求められるのだが、そういったものとは無縁な政治家として、イスラエル政界において異色な存在であった。
歴代リクード政権で閣僚を務めてきた後、2000年の大統領選(クネセト議員による間接選挙制)で労働党のシモン・ペレスと争い勝利した。リクードから選出された初めての大統領だった。
カツァブの政策はパレスチナにおける純ユダヤ国家の復活と、長期計画に基づくアラブ人パレスチナ国家建設の並立・共存であるが、一方でパレスチナ過激派のテロリスト流入を防ぐためとしてイスラエル政府が建設中の防護フェンスは、カツァブ属するリクード政権の主導であり、カツァブもこれの提唱に参加し、賛成したという。 2006年10月15日、イスラエル警察は、カツァブをセクハラ・強制わいせつの容疑で、メナヘム・マズーズ検事総長に起訴を勧告。政治生命の危機が迫っている。