レニングラード包囲戦
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レニングラード包囲戦 | |
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レニングラードへ食糧を輸送する氷上列車 |
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戦争: 独ソ戦(第二次世界大戦) | |
年月日: 1941年9月8日-1944年1月18日 | |
場所: ソビエト連邦西部レニングラード市(現・サンクトペテルブルク) | |
結果: ソ連軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
ドイツ軍、フィンランド軍 | ソ連軍 |
指揮官 | |
ヴィルヘルム・フォン・レープ ゲオルク・フォン・キュヒラー |
クリメント・ヴォロシーロフ ゲオルギー・ジューコフ |
戦力 | |
725,000 | 930,000 |
損害 | |
不明 | 軍人 30万人 市民 67万人ないし100万人以上 |
レニングラード包囲戦(レニングラードほういせん, 英:Siege of Leningrad, 露:блокада Ленинграда, 1941年9月8日-1944年1月18日)は、第二次世界大戦の独ソ戦における戦闘の1つである。
ドイツ軍はソビエト連邦第2の大都市レニングラード(現・サンクトペテルブルク)を900日近くにわたって包囲したが、レニングラードは包囲に耐え抜き、後にスターリンによって英雄都市の称号が与えられた。飢餓や砲爆撃によって、ソ連政府の発表によれば67万人、一説によれば100万人以上の市民が死亡した[1][2]。これは日本本土における民間人の戦災死者数の合計(東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎を含む全て)を上回る。
目次 |
[編集] 枢軸軍の侵攻
[編集] 開戦
レニングラードは1939年当時で319万人の人口を擁し、ソ連第2の大都市であった。1941年6月22日、ドイツ軍はソ連への侵攻作戦「バルバロッサ作戦」を開始した。ヒトラーは3つの軍集団のうち北方軍集団に対してレニングラードの占領もしくは破壊を指令していた。独ソ国境付近に布陣していたソ連軍は敗退を重ね、ドイツ軍は短期間のうちにバルト三国を進撃してレニングラード前面へ迫った。
6月27日、レニングラードの労働者評議会は、市民を防御施設の建設工事に動員することを決定した。ドイツ軍の来襲までに完成した防御施設は、木材障害物190キロ、鉄条網635キロ、対戦車壕700キロ、トーチカ5,000か所、塹壕25,000キロに及んだ。
[編集] フィンランド軍の侵攻
6月26日、フィンランドはソ連に対して宣戦を布告し、冬戦争の際にソ連に奪われたカレリア地方へ侵攻した(継続戦争)。フィンランド軍は9月7日までにレニングラードの北160キロまで到達したが、冬戦争以前の国境線を越えて前進することは控えた。9月4日にヨードルはフィンランド軍総司令官のマンネルヘイムを訪れ、レニングラードへの攻撃を要請したが、マンネルヘイムはこれを拒絶した。その後もドイツ軍とフィンランド軍との連絡が完成されることはなかった。
[編集] 包囲の完成
ドイツ軍の急進撃とソ連側の混乱のために、レニングラード市民の疎開はほとんど進んでいなかった。8月30日、ドイツ軍はネヴァ川に到達し、レニングラードに通じる最後の鉄道線路が遮断された。9月4日には市内への砲撃が開始された。9月8日、ドイツ軍はラドガ湖に到達し、遂にラドガ湖上を通るルートを除く全ての連絡線が完全に遮断された。同日、空襲によって市内178か所で火災が発生した。
レニングラードの軍管区司令官の任にあったジューコフが急造ながら優れた防御陣地を構築したため、ドイツ軍は市街地への強襲は避け包囲するにとどめたが、10月7日にヒトラーが発した指令は、一切の降伏を受け入れないとするものであった。
[編集] 包囲戦
[編集] 補給の途絶
連絡線の遮断によってレニングラードへの補給はほぼ途絶した。9月2日、市民への食糧の配給が削減され、肉体労働者は1日にパン600グラム、労働者は400グラム、その他の市民と子供は300グラムと定められた。9月8日の空襲では穀類や砂糖が焼失した。9月12日には、食料の残量は以下の通りと試算された。
- 穀類・小麦粉 35日分
- えん麦・粉物 30日分
- 肉類・家畜 33日分
- 油脂 45日分
- 砂糖・菓子類 60日分
同日、配給の再度の削減が実施され、肉体労働者は1日にパン500グラム、労働者と子供は300グラム、その他の市民は250グラムと定められた。陸軍とバルチック艦隊は備蓄を有していたが十分ではなかった。ラドガ湖に配備されていた河川艦隊は装備も十分ではなく、しばしばドイツ軍の空襲を受け、9月には穀物輸送船が撃沈された。輸送船は後に引き上げられ、濡れた穀物もパンを焼くのに使われた。小麦粉を使い果たした後は、セルロースや綿の実の絞りかすが食用に供された。馬の飼料用のえん麦も食用に回された。肉類も底をつき、内臓や皮革が料理された。市内のあらゆる空き地には野菜が植えられた。
9月末には石油と石炭も尽きた。唯一の燃料は倒木であった。10月8日には市の北方にある森林での木材の伐採が計画されたが、機材も作業施設もなく、10月24日までに木材伐採計画の1パーセントが実施できたのみであった。電力供給も不足し、電力の使用は軍の司令部や地域委員会、防空拠点などを除き厳禁とされた。大部分の工場が操業を停止し、11月には全ての公共交通機関が運行を停止した。1942年の春には一部のトラムが運行を再開したが、トロリーバスとバスは終戦まで再開しなかった。
冬が近づく頃、飢餓による死が襲ってきた。植物学者のニコライ・ヴァヴィロフの研究スタッフの1人は、食用にすることもできた20万種の植物種子コレクションを守ろうとして餓死した。レニングラードの街角は死体で溢れた。やがて食料が切れた市内では死体から人肉を食らう凄惨な状況が常態化した。人肉を売る店まで現れ、人々はそれで飢えをしのいだ。
[編集] 命の道
11月20日、ラドガ湖が結氷し、馬橇の輸送部隊が氷上を通ってレニングラードへ物資を送り届けた。その後トラックによる輸送も可能となった。氷上の連絡路は「命の道」(Дорога жизни)と呼ばれた。湖の対岸から市内へ物資が運び込まれ、市民の脱出も可能となった。
命の道は1942年4月24日までの152日間利用可能であった。この間に市民51万4,000人、負傷した兵士3万5,000人がレニングラードから脱出し、重要な産業設備も運び出された。命の道は対空砲と戦闘機によって防衛されたが、ドイツ軍の砲撃と空襲による脅威にさらされ続け、危険は高かった。人々は皮肉を込めてこれを「死の道」と呼んだ。
1942年の夏にはラドガ湖の湖底を通る長さは29キロの石油パイプライン「命の動脈」が敷設された。冬になると命の道は再開した。12月20日から馬の往来が始まり、12月24日から自動車輸送も始まった。氷上鉄道の建設も行われた。
[編集] 解放へ
1943年1月12日、ラドガ湖南岸におけるソ連軍の反攻作戦が開始され、1月18日にはレニングラードへの陸上ルートが確保された。その後もレニングラードはドイツ軍による部分的な包囲下におかれ、爆撃と砲撃を受けたが、1944年1月にはソ連軍の攻勢によりドイツ軍は撤退し、包囲は完全に解かれた。1944年の夏にはフィンランド軍も開戦時の位置まで押し戻された。
[編集] 影響
独ソ戦の開始から数週間でのソ連軍の敗退は連合国の人々を意気消沈させたが、レニングラードの抵抗は人々を勇気付けた。レニングラードは1945年にスターリンによって英雄都市の称号を与えられた。
包囲戦の犠牲者数については諸説がある。戦後のソ連政府による公式発表は死者67万人というものであったが、他の研究では死者は70万人から150万人、多数説としては110万人程度という推計値が示されている。犠牲者の多くはピスカリョフ記念墓地に埋葬された。
包囲戦の記憶は市民の心に暗い影を落とした。市民はそれまでレニングラードが文化都市であることを誇りとしてきた。図書館の蔵書や18世紀の骨董家具を燃やすか、それとも凍え死ぬかという選択は辛いものであった。一方、レニングラードが900日近くにわたって抵抗を続け、「トロイも陥ち、ローマも陥ちたが、レニングラードは陥ちなかった」ことは市民の新たな誇りともなった。
今日でもレニングラード市内では、ドイツ軍による砲撃を避けるために設置された標識が修復され保存されている。
[編集] レニングラード包囲戦を扱った作品
- ドミートリイ・ショスタコーヴィチの交響曲第7番は、包囲下のレニングラードで作曲され、『レニングラード交響曲』と呼ばれている。
- ビリー・ジョエルの曲『レニングラード』は、レニングラード包囲戦で父親を失ったロシア人の少年ヴィクトールを主人公とするものである。
[編集] 文献
- N・チーホノフ著、前芝確三訳、『レニングラード』、創元社、1952年
- ユーリイ・イワノフ著、宮島綾子訳、『900日の包囲の中で』、(創作児童文学)岩崎書店、1982/7、ISBN 4265927270
- ハリソン・ソールズベリー著、大沢正訳、『攻防900日:包囲されたレニングラード』〈上・下〉、早川書房、 2005/12, ISBN 4152086920, ISBN 4152086939
[編集] 脚注
- ↑ The Siege of Leningrad, Seventeen Moments in Soviet History
- ↑ The Legacy of the Siege of Leningrad, 1941–1995, Cambridge University Press
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