ローマ皇帝一覧
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目次 |
[編集] ユリウス・クラウディウス朝
- ガイウス・ユリウス・カエサル 終身独裁官
- アウグストゥス(紀元前27年 - 紀元14年) 初代ローマ皇帝
- ティベリウス(14年 - 37年)
- カリグラ(ガイウス)(37年 - 41年)
- クラウディウス(41年 - 54年)
- ネロ(54年 - 68年) ユリウス・クラウディウス朝の断絶
[編集] 内乱期(4帝乱立の1年)
[編集] フラウィウス朝
[編集] 五賢帝時代
- ネルウァ(96年 - 98年) 最初の五賢帝
- トラヤヌス(98年 - 117年)
- ハドリアヌス(117年 - 138年)
- アントニヌス・ピウス(138年 - 161年)
- マルクス・アウレリウス・アントニヌス(161年 - 180年) 最後の五賢帝
[編集] 内乱期
[編集] セウェルス朝
- セプティミウス・セウェルス(193年 - 211年)
- カラカラ(211年 - 217年)
- マクリヌス(217年 - 218年)
- ヘラガバルス(218年 - 222年)
- アレクサンデル・セウェルス(222年 - 235年)
[編集] 軍人皇帝の時代(3世紀の危機)
- マクシミヌス・トラクス(235年 - 238年)
- ゴルディアヌス1世(238年)
- バルビヌス(238年)
- 共同皇帝 プピエヌス・マクシムス(238年)
- ゴルディアヌス3世(238年 - 244年)
- フィリップス・アラブス(244年 - 249年)
- デキウス(249年 - 251年)
- トレボニアヌス(251年 - 253年)
- ウァレリアヌス(253年 - 260年)
- ガリエヌス(253年 - 268年) ガリア帝国 パルミラ王国
- クラウディウス・ゴティクス(クラウディウス2世)(268年 - 270年)
- アウレリアヌス(270年 - 275年)
- タキトゥス(275年 - 276年)
- プロブス(276年 - 282年)
- カルス(282年 - 283年)
- 西 カリヌス(282年 - 284年),東 ヌメリアヌス(282年 - 284年)
[編集] 4分割統治~6皇帝同時在位
ディオクレティアヌスによる帝国4分割
[編集] 西
[編集] 東
[編集] コンスタンティヌス朝
[編集] ウァレンティニアヌス朝
[編集] テオドシウス朝
[編集] 西ローマ帝国
- ホノリウス(395年 - 423年)(摂政スティリコ)
- コンスタンティウス3世(421年)
- ヨハンネス(423年 - 425年) 帝位簒奪者
- ウァレンティニアヌス3世(425年 - 455年)
- ペトロニウス・マクシムス(455年)
- アウィトゥス(455年 - 456年)
- マヨリアヌス(457年 - 461年)
- リビウス・セウェルス(461年 - 465年)
- アンテミウス(467年 - 472年)
- オリブリオス(472年)
- グリケリウス(473年)
- ネポス(473年 - 475年)
- ロムルス・アウグストゥルス(475年 - 476年) 最後の皇帝
- 西ローマ帝国滅亡
[編集] フランク・ローマ帝国
- カール大帝(800年 - 814年)
- ルートヴィヒ1世(814年 - 840年) 共同皇帝(813~814)
- ロタール1世(817年 - 855年) 共同皇帝(817~840)
- ルートヴィヒ2世(855年 - 875年)
- シャルル2世(875年 - 877年)
- カール3世(879年 - 887年)
- グイード(891年 - 894年)
- ランベルト(896年 - 899年) 共同皇帝(892~)
- アルヌルフ(896年 - 899年)
- ルートヴィヒ3世(901年 - 915年)
- ベレンガリオ1世(915年 - 924年)
[編集] 神聖ローマ帝国
- 神聖ローマ帝国#神聖ローマ皇帝・ドイツ国王一覧を参照のこと
[編集] 東ローマ帝国
- 名前の後の””内はあだ名
- 名前の後の””が付かないものは姓
同じ王朝に含まれていても血統が繋がっていない場合があるので、注意が必要である。
日本人の研究者の間では、公用語がラテン語であったフォカスまでをラテン語で、公用語をギリシア語に改めたヘラクレイオス以降はギリシア語で表記するのが一般的であり、ここでもそれに従っている。ただし、日本では一部の名前が慣用として古代・中世のギリシア語の発音からかけ離れた音にのっとっている場合があり、すべてがギリシア語に忠実なわけではない。
[編集] テオドシウス朝
[編集] レオ朝
レオ朝の血統断絶
[編集] ユスティニアヌス朝
[編集] ヘラクレイオス朝
- ヘラクレイオス (Ηράκλειος) (610年 - 641年)
- コンスタンティノス3世(Κωνσταντίνος Γ' Ηράκλειος) (641年)
- ヘラクロナス (Ηρακλεωνάς)(641年)
- コンスタンス2世(Κώνστας Β' Ηράκλειος) (641年 - 668年)
- コンスタンティノス4世(Κωνσταντίνος Δ' ο Πωγώνατος ) (668年 - 685年)
- ユスティニアノス2世(Ιουστινιανός Β' ο Ρινότμητος)(685年 - 694年)
- レオンティオス(Λεόντιος)(695年 - 698年)
- ティベリオス3世(Τιβέριος Γ' ο Αψίμαρος)(698年 - 705年)
- ユスティニアノス2世 (705年 - 711年) (復位)
ヘラクレイオス王朝の血統断絶
- フィリピコス・バルダネス(Φιλιππικός Βαρδάνης)(711年 - 713年)
- アナスタシオス2世(Αναστάσιος Β') (713年 - 715年)
- テオドシオス3世(Θεοδόσιος Γ' ο Αδραμμυττηνός)(715年 - 717年)
[編集] イサウリア朝(シリア朝)
- レオーン3世(Λέων Γ' ο Ίσαυρος)(717年 - 741年)
- コンスタンティノス5世 ”コプロニュモス”(Κωνσταντίνος Ε' ο Κοπρώνυμος ή Καβαλίνος)(741年 - 775年)
- レオーン4世 ”ハザロス”(Λέων Δ' Χάζαρος)(775年 - 780年)
- コンスタンティノス6世(Κωνσταντίνος ΣΤ')(780年 - 797年)
- エイレーネー(Ειρήνη η Αθηναία)(797年 - 802年)-女帝
イサウリア朝の血統断絶
- ニケフォロス1世(Νικηφόρος Α')(802年 - 811年)
- スタウラキオス(Σταυράκιος)(811年)
- ミカエル1世ランガベー(Μιχαήλ Α' ο Ραγκαβέ)(811年 - 813年)
- レオーン5世(Λέων Ε' ο Αρμένιος)(813年 - 820年)
[編集] アモリア朝
- ミカエル2世 ”トラブロス”(Μιχαήλ Β' ο Τραυλός η Ψηλλος)(820年 - 829年)
- テオフィロス(Θεόφιλος)(829年 - 842年)
- ミカエル3世 ”メスィソス(酩酊帝)”(Μιχαήλ Γ' ο Μέθυσος)(842年 - 867年)
[編集] マケドニア朝
- バシレイオス1世(Βασίλειος Α')(867年 - 886年)
- レオーン6世 ”フィロソフォス(賢帝)”(Λέων ΣΤ' ο Σοφός)(886年 - 912年)
- アレクサンドロス(Αλέξανδρος Γ' του Βυζαντίου)(912年 - 913年)
- コンスタンティノス7世 ”ポルフュロゲネトス”(Κωνσταντίνος Ζ' ο Πορφυρογέννητος)(913年 - 959年)920年 - 944年は共同皇帝。
- ロマノス1世レカペノス(Ρωμανός Α' ο Λεκαπηνός)(920年 - 944年)
- ロマノス2世(Ρωμανός Β' ο Πορφυρογέννητος)(959年 - 963年)
- ニケフォロス2世フォカス(Νικηφόρος Β' Φωκάς) (963年 - 969年)
- ヨハネス1世ツィミスケス(Ιωάννης Α' Κουρκούας ο Τσιμισκής)(969年 - 976年)
- バシレイオス2世 ”ブルガロクトノス(ブルガリア人殺し帝)”(Βασίλειος Β' ο Βουλγαροκτόνος)(976年 - 1025年)
- コンスタンティノス8世(Κωνσταντίνος Η')(1025年 - 1028年)
- ゾエ(Ζωή)(1028年 - 1050年)-女帝・共同統治者
- ロマノス3世アルギュロス (Ρωμανός Γ' ο Αργυρός) (1028年 - 1034年)
- ミカエル4世 ”パフラゴニオス”(Μιχαήλ Δ' ο Παφλαγών)(1034年 - 1041年)
- ミカエル5世 ”カラファテス”(Μιχαήλ Ε' ο Καλαφάτης)(1041年 - 1042年)
- コンスタンティノス9世モノマコス(Κωνσταντίνος Θ' ο Μονομάχος)(1042年 - 1055年)
- テオドラ(Θεοδώρα)(1042年,1055年 - 1056年)-女帝
マケドニア王朝の血統断絶
- ミカエル6世ストラティオティコス(Μιχαήλ ΣΤ' ο Στρατιωτικός)(1056年 - 1057年)
- イサキオス1世コムネノス(Ισαάκιος Α' Κομνηνός)(1057年 - 1059年)
[編集] ドゥーカス朝
- コンスタンティノス10世ドゥーカス(Κωνσταντίνος Ι' Δούκας)(1059年 - 1067年)
- エウドキア・マクレンボリティサ (1067年 - 1068年)-女帝
- ロマノス4世ディオゲネス (Ρωμανός Δ' Διογένης)(1068年 - 1071年)
- ミカエル7世ドゥーカス ”パラピノ”(Μιχαήλ Ζ' Δούκας ο Παραπινάκης)(1071年 - 1078年)
- ニケフォロス3世ボタネイアテス(Νικηφόρος Γ' Βοτανειάτης)(1078年 - 1081年)
[編集] コムネノス朝
- アレクシオス1世コムネノス(Αλέξιος Α' Κομνηνός)(1081年 - 1118年)イサキオス1世の甥
- ヨハネス2世コムネノス ”カロ・ヨハネス”(Ιωάννης Β' Κομνηνός o Καλος)(1118年 - 1143年)
- マヌエル1世コムネノス”大帝”(Μανουήλ Α' Κομνηνός ο Μέγας)(1143年 - 1180年)
- アレクシオス2世コムネノス(Αλέξιος B' Κομνηνός)(1180年 - 1183年)
- アンドロニコス1世コムネノス(Ανδρόνικος Α' Κομνηνός)(1183年 - 1185年)
[編集] アンゲロス朝
- イサキオス2世アンゲロス(Ισαάκιος Β' Άγγελος)(1185年 - 1195年)
- アレクシオス3世アンゲロス(Αλέξιος Γ' Άγγελος)(1195年 - 1203年)
- イサキオス2世アンゲロス (1203年) (復位)
- アレクシオス4世アンゲロス(Αλέξιος Δ' Άγγελος)(1203年 - 1204年)
- アレクシオス5世ドゥーカス”ムルヅフロス”(Αλέξιος Ε' Δούκας ο Μούρτζουφλος)(1204年)
- コンスタンティノス・ラスカリス(Κωνσταντίνος Λάσκαρης)(1204年)
1204年のコンスタンティノス・ラスカリスは、第4回十字軍によるコンスタンティノポリス攻撃の最中に 皇帝に選出されたものの、コンスタンティノポリスが陥落してしまったために在位たった一晩で逃亡した。 このためコンスタンティノス・ラスカリスを皇帝として扱わない場合もある。また、コンスタンティノス・ ラスカリスを「コンスタンティノス11世」とし、帝国最後の皇帝を「コンスタンティノス12世」とする 場合もあるので注意が必要である。
[編集] ニカイア帝国(ラスカリス朝・東ローマの亡命政権)
- テオドロス1世ラスカリス(Θεόδωρος Α' Λάσκαρης)(1205年 - 1222年)コンスタンティノス・ラスカリスの弟
- ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェス(Ιωάννης Γ' Δούκας Βατάτζης)(1222年 - 1254年)
- テオドロス2世ラスカリス(Θεόδωρος Β' Λάσκαρης)(1254年 - 1258年)
- ヨハネス4世ラスカリス(Ιωάννης Δ' Λάσκαρης)(1258年 - 1261年)
[編集] パレオロゴス朝
- ミカエル8世パレオロゴス(Μιχαήλ Η' Παλαιολόγος)(1261年 - 1282年)-1258年からニカイア帝国の共同皇帝
- アンドロニコス2世パレオロゴス(Ανδρόνικος Β' Παλαιολόγος ο Γέρος)(1282年 - 1328年)
- ミカエル9世パレオロゴス(Μιχαήλ Θ' Παλαιολόγος)(1294年 - 1320年)-共同皇帝
- アンドロニコス3世パレオロゴス(Ανδρόνικος Γ' Παλαιολόγος ο Νέος)(1328年 - 1341年)
- ヨハネス5世パレオロゴス(Ιωάννης Ε' Παλαιολόγος)(1341年 - 1376年)
- ヨハネス6世カンタクゼノス(Ιωάννης Στ' Καντακουζηνός)(1347年 - 1354年)
- マタイオス・カンタクゼノス(Ματθαίος Ασάνης Καντακουζηνός)(1353年-1357年)(共同皇帝)
- アンドロニコス4世パレオロゴス(Ανδρόνικος Δ' Παλαιολόγος) (1376年 - 1379年)
- ヨハネス5世パレオロゴス(復位)(1379年 - 1391年)
- ヨハネス7世パレオロゴス(Ιωάννης Ζ' Παλαιολόγος)(1390年)
- マヌエル2世パレオロゴス(Μανουήλ Β' Παλαιολόγος)(1391年 - 1425年)
- ヨハネス8世パレオロゴス(Ιωάννης Η' Παλαιολόγος)(1425年 - 1448年)
- コンスタンティノス11世ドラガセス(Κωνσταντίνος ΙΑ' Παλαιολόγος Δραγάτσης)(1448年 - 1453年)最後の皇帝
東ローマ帝国滅亡
[編集] ルーム・カイセリ
オスマン帝国では、ルーム・カイセリとして、ローマ皇帝を自称したスルタンもいた。ただし、これらは世襲でもなく戴冠する事もなかったので、正式なローマ皇帝とは言えないとする歴史家も多い。オスマン帝国の君主も参照。