五井駅
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五井駅(ごいえき)は、千葉県市原市にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・小湊鉄道の駅である。
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[編集] 利用可能な鉄道路線
[編集] 駅構造
(所在地:千葉県市原市五井中央西二丁目1番11号(JR東日本)、千葉県市原市五井中央東一丁目1番2号(小湊鉄道)) 内房線・小湊鉄道がそれぞれ島式ホーム1面2線を有し、合わせて2面4線の地上駅となっている。のりばにつけられた番号は西口方向から見て順番に1番線、2番線、3番線、4番線となっている。
- のりば
小湊鉄道ホームへは駅舎から跨線橋がのびるほかJRホームと小湊鉄道ホームを結ぶ連絡跨線橋が君津方にあるが、この連絡跨線橋は旧駅舎時代のものをそのまま使用している。小湊鉄道は東側に側線を多数持っており、車輛が停泊しているのをホームから見ることができる。
橋上駅舎を持つ。改札口は両社の共用となっており、改札業務はJRによって行われる。JR東日本の直営駅でみどりの窓口設置駅。JRの自動改札・自動券売機(小湊鉄道の普通乗車券を購入可能)の設備がある。小湊鉄道の駅員も配置され、小湊鉄道独自の割引乗車券類は小湊鉄道ホームの端跨線橋下にある事務所の窓口で発売している。
[編集] 利用状況
2005年度の1日平均乗車人員は20,307人であった。
[編集] 駅周辺
- サンプラザ市原
- 市原臨海競技場
- 小湊鉄道五井機関区
- イトーヨーカドー市原店
- 千葉県立京葉高等学校
- 東海大学付属望洋高等学校
- 松屋
[編集] 路線バス
[編集] 歴史
この駅は明治45年(1912年)3月1日に木更津線の駅として開業した。この日木更津線は蘇我駅から姉ケ崎駅まで開通し、それに伴ってこの駅は開業したのである。木更津線は安房北条駅(現在の館山駅)まで開通した大正8年(1919年)5月24日に北条線に改称となりその後昭和4年(1929年)4月15日には房総線に編入された。
現在の内房線はその後昭和8年(1933年)4月1日に房総西線として分離され、最終的に昭和47年(1972年)7月15日に内房線に改称となって現在に至っている。
この駅に小湊鉄道が入ってきたのは大正14年(1925年)3月7日のことであった。このとき開通したのは当駅から里見駅まででその後小湊鉄道は大正15年(1926年)9月1日に月崎駅まで延伸となり昭和3年(1928年)5月16日には上総中野駅まで全通した。
この駅が建っている場所は、五井藩陣屋跡と言われている。
- 1912年(明治45年)3月28日 - 木更津線が開業。
- 1919年(大正8年)5月24日 - 木更津線が北条線に改称となる。
- 1925年(大正14年)3月7日 - 小湊鉄道線が乗り入れ。
- 1929年(昭和4年)4月15日 - 北条線が房総線に編入となる。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 蘇我駅から当駅を経て安房鴨川駅までが房総西線として分離される。
- 1972年(昭和47年)7月15日 - 房総西線が内房線に改称となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により東日本旅客鉄道の駅となる。
[編集] 隣の駅
- 小湊鉄道
- 小湊鉄道線
- 五井駅 - 上総村上駅
[編集] その他
- 時刻表上では駅弁販売駅ではないが、午前9時前~売切れまで小湊鉄道連絡橋上で地元商店(やり田)による弁当立ち売りがある。
- 五井駅の所在地である市原市には、市の名前そのものを冠した駅がないことから、五井駅を「市原駅」に改称しようという運動が何度も起こっているが、いずれも立ち消えになっている。なお「市原駅」に関しては、地名としての「市原」に近い八幡宿駅の改称案や、島野地区(五井-姉ヶ崎間)への新駅設置運動の中で「島野駅」と並んで新駅の名称候補に挙がったこともある。
- 市原市内にはゴルフ場が多く存在するため、東口ロータリーは朝の時間帯、ゴルフ場の送迎バスで一杯になる。特に東京駅からのさざなみ号が到着する時間帯に集中する。