五人組 (自民党)
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五人組(ごにんぐみ)は、2000年4月に小渕恵三内閣総理大臣が倒れた際に、後継として選出する際の密室会談に集まった自由民主党の有力国会議員であった5人のこと。
目次 |
[編集] 五人組
[編集] 経過
- 4月2日
- 午前1時頃、小渕首相が順天堂病院に緊急入院。
- 午前2時頃、古川首相政務秘書官から青木官房長官に首相入院の連絡。
- 午前6時頃、主治医が青木官房長官を訪問。
- 午後0時頃、緊急事態を受け、青木、森、村上、野中、亀井の五人が赤坂プリンスホテルで会合。首相臨時代理の設置や後継問題が動き出す。
- 午後7時頃、青木官房長官が順天堂病院を訪問し、病床の小渕首相と一人で面会。
- 午後11時、青木官房長官が緊急記者会見。「小渕首相が体調不良で入院した」旨を正式に公表。
- 4月3日
- 午前0時頃、青木、森、村上、野中、亀井の五人が同ホテルに集まり、青木官房長官が首相臨時代理、後継首相は森喜朗を決定、内閣総辞職、衆参本会議及び組閣日程を確認。
- 午前11時、定例記者会見で青木官房長官は、小渕首相は「脳梗塞」であると病名を初めて公表し、小渕首相の指定に基づいて自身が首相臨時代理に就任したと発表。
- 4月4日
- 午後7時、内閣総辞職。
- 4月5日
- 午前、自民党両院議員総会で森総裁選出。
- 午後、衆参両院本会議で森首相を指名、夜、森内閣が正式に発足。
[編集] 問題点
自民党党三役の一人であった池田行彦総務会長(加藤派)はこの会談に参加していなかった。また会談に参加していたのは小渕派、森派、江藤・亀井派の議員だけであり、加藤派、山崎派の議員は参加していなかった。後継首相の意思決定において、加藤派と山崎派が排除されたことが、後の加藤の乱の遠因になったともいわれている。
[編集] 関連項目
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