京極高富
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京極 高富(きょうごく たかとみ、天保6年(1835年) - 明治22年(1889年)2月9日)は、丹後峰山藩の第11代藩主。第10代藩主・京極高景の子。明治に入り子爵。官位は従五位下。備中守。
幼名は啓治郎。1849年3月7日、父の隠居で家督を継いだ。1857年2月には大番頭となる。その後も大坂玉造定番などを歴任し、天誅組の乱や生野の変鎮圧で功を挙げている。1866年正月7日には若年寄に任じられた。しかしこのため、1868年の戊辰戦争では佐幕派として見なされ、新政府の命令により謹慎を命じられた。1868年5月14日に謹慎を許されたが、直後の5月28日に胸の持病を理由にして、養嗣子の京極高陳に家督を譲って隠居した。
1889年2月9日、55歳で死去。墓所:京丹後市峰山町吉原の安泰山常立寺。