伊達宗実
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伊達 宗実(だて むねざね)
伊達宗実は、ほぼ同時代に同姓同名が以下の三人存在しており、考証が足りない文献や創作作品などではしばし混乱が見受けられる。 以下、三人の経歴を示す。
- 亘理伊達安房宗実
- 涌谷伊達安芸宗実
- 宇和島伊達左近大夫宗実
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[編集] 伊達安房宗実
伊達 宗実(だて むねざね、慶長18年(1613年) - 寛文5年6月5日(1665年7月17日))は、伊達氏の一門家臣。伊達政宗の九男。伊達成実の養子。亘理伊達家当主。幼名、喝食丸。官位は治部大輔、後に安房守。
仙台に生まれる。寛永2年(1625年)に元服。寛永16年(1639年)に成実の養子となる。寛文5年(1665年)に53歳で死去。法名は円照院殿徹山利通大禅定門。
銃術を学び奥秘を伝える武人であるとともに、和歌を能くし、宗実公和歌(寛永8年)を著している。
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[編集] 伊達安芸宗実
伊達 宗実(だて むねざね、慶長16年(1611年) - 寛永16年(1639年))は、伊達氏の一門家臣。伊達安芸定宗の嫡男。母は黒木氏(黒木肥前宗俊の娘)。妻は岑姫 清浄院樹岑蔭涼(伊達政宗三女)。幼名は牛松丸。法名は谷陽院殿実壮玄真。
伊達政宗の三女岑姫を娶り、涌谷伊達家嫡男として期待されていたが、父定宗より早く亡くなっている為、涌谷伊達家当主は弟の宗重が継承した。この弟の宗重が伊達騒動の伊達安芸にあたる。家臣千石宣治と長橋好仲が宗実に殉じた。
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[編集] 伊達左近大夫宗実
伊達 宗実(だて むねざね、慶長17年(1612年) - 寛永21年/正保元年(1644年))は、伊達秀宗長男。
宇和島藩主・伊達秀宗の正室の子で嫡子であったが病弱であった為、1627年に嫡を辞し、弟の伊達宗時に嫡子の座を譲った。父に先立つ。