佐竹貞義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐竹 貞義(さたけ さだよし、1287年(弘安10年) - 1352年10月18日(正平7年/文和元年9月10日))は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。佐竹氏の第8代当主。父は第7代当主・佐竹行義。母は二階堂頼綱の娘。妻は海上胤泰の娘。官位は遠江守。駿河守。上総介。常陸介。号は昆山道源。
1303年、常陸多賀郡に興禅寺を建立する。鎌倉幕府の討幕運動が始まると、幕府軍の一員として笠置山攻めに参加し、武功を挙げた。しかし足利尊氏の調略を受けて討幕軍に寝返る。1335年11月、その功績により常陸守護に任じられた。
1352年9月10日、66歳で死去し、後を子の佐竹義篤が継いだ。