全日本プロドリフト選手権
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全日本プロドリフト選手権(ぜんにっぽんぷろどりふとせんしゅけん)は、2001年より始まった、ドリフト走行を中心とした異色のモータースポーツ。通称D1グランプリ(D1GP)。
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[編集] 概要
提案者は元レーサーの土屋圭市、雑誌『OPTION』創始者稲田大二郎。
自動車ビデオマガジン『VIDEO OPTION』の名物企画「いかす走り屋チーム天国」から派生。名称は「ドリフト」のD、「ドリキン」のD、「大二郎」のD、この3つのDから頂点を目指すという意味で「D1」と名づけられた。
単に速さを競う一般的なモータースポーツとは異なり、ドリフト走行における迫力や芸術性をポイント化し競うという点が最大の特徴。シリーズ戦(年間6~8戦)で争われ、2003年からは海外でも開催されて人気を集めている。
グランプリということでシリーズ化、賞金獲得化、ギャラリー動員されている事が大きな特徴。「ドリフトがどれだけ上手くてもその先はない。だったらドリフトで飯を食えるように、プロ化しよう」という意図で開催されている。土屋曰く「最初のうちはOPTIONやV-OPTでの仕事の斡旋も考えていた」が、金を払って見る価値が出来たという理由より、その考えをとりやめている。
当然出場者達は各地で名前を売ってる名ドリフター(ドリフト愛好者)達が中心で、日本数万人のドリフター達の頂点を争う大会でもある。最近ではSUPER GTなどで活躍するプロレーサーたちも参戦するなど、今やモータースポーツの1ジャンルとして定着しつつある。
参加者は有名なパーツメーカーやプライベーターが中心だったが、2004年の開幕戦では、始まって初めてメーカーワークス(GM ポンティアックGTO)が参戦した。同じく2004年度には、1月にエキシビジョンマッチとして都心部といえるお台場で開催される。これは本来ドリフトがストリートで生まれたものであると言うことで、限りなくストリートに近い場所でという意味合いに加えてD1グランプリの一般への認知度を高める目的も含まれていた。コースは駐車場を利用して作られた特設コースで行われ、会場のすぐそばにあるフジテレビのすぽるとで取り上げられて話題となる(レポーターとして、当時同番組レギュラーだった若槻千夏が風間靖幸のS15シルビアを使用して、土屋ドライブにてドリフト体験するところを放送した)。お台場ではこのエキシビジョンマッチ以降エキシビジョンだけではなく、毎年5月に台場にて開催されているマルチプレックスのコンテンツとしてD1グランプリの公式戦も開催された。都心部での開催ということもあり、観客動員もかなり高かったのだが、マルチプレックスと決裂し2006年度以降台場マルチプレックスでの開催はなくなった。(マルチプレックスは現在下記の排除された人気選手(永久追放処分と言われている織戸学、谷口信輝両選手)とその選手を支援しているメーカーが中心となったモータースポーツコムとタイアップする形でドリフトをコンテンツとして持続している。)2006年11月、2007年2月にお台場でエキシビジョンマッチが開催されることが発表されているが、マルチプレックスとの関連に関しては明らかではない(恐らくは初期のエキシビジョンと同様に単独開催であると思われる)。加えてエキシビジョンマッチとして大阪と台湾で開催されることが発表されている(会場等は未定)。
2005年にはシリーズの発展に伴い、D1グランプリの下位カテゴリーとしてD1ストリートリーガルを新設。D1グランプリを「ドリフト界の世界選手権」と位置づけ世界的な展開を進める一方で、D1ストリートリーガルは全日本選手権的な位置づけで運営を行っていく方針だとしている。なお、この年はD1ストリートリーガルに国産初のメーカーワークスとしてNISMOが参戦している。
2006年 強豪チームのHKS、アペックスが撤退を発表し、人気選手の排除および不参加を表明もあり、今後のチーム勢力図にも大きな変化が予想される。
その他土屋氏と選手の間の溝から一部の選手が参戦を取り止める、D1事務局からのプレスリリースより先に他のサイトで問題が公表されて(事務局側はいまだこの件について説明しておらず、三木竜二選手のエントリーを1度受理したにもかかわらず出場取り消しにした件なども、事務局からのプレスリリースではなく土屋氏が自身のホームページでその理由を説明していたのであるが、数日で削除されたなど土屋氏・稲田氏の姿勢や組織運営的には疑問符が多い。それに加え2005年度まで審査員を務めていた織戸学が選手として参戦する頃から、審査が実質土屋氏1人で行っているような状態となったことから、以前から言われていた「審査基準の曖昧さ」にさらに拍車がかかった事や、2007年度から世界選手権化すると発表されているものの(2006年11月に発表された2007年度スケジュールでは国内での開催をジャパンシリーズ、アメリカでの開催をUSAシリーズとして分けている)、周りからは「そろそろ限界ではないのか?」の声も上がっている。
[編集] 大会要項
[編集] 正式名称
全日本プロフェッショナルドリフト選手権
[編集] 出場条件
「D1ライセンスを取得」しなければならない。
D1ライセンスはD1事務局が指定する「D1選考会」に参加して、優秀な成績を収めるか、サンプロス主催の「いかす走り屋チーム天国」に出場し、優秀な成績を収めたものに与えられる。またレーシングドライバーとして優秀な成績を収めている者(土屋圭市によれば「全日本選手権格のレースで表彰台に上った経験がある」ことが一つの基準だという)に対しては選考会を経ずにライセンスが与えられる。
[編集] 車両レギュレーション
若干の改造でナンバーが取得出来なければならない。具体的な作業としては、ロールバーにクッションを巻き、内装を戻し、ドアとウィンドウを純正品に戻すことにより、D1SL規定+αとなる事である。+α分はD1SLレギュレーションと違い、エンジンスワップや乗車定員変更による2シーター化なども、D1GPレギュレーションでは合法なためである。
これは車両のパイプフレームへの変更を防ぐ事が目的であり、そこまで深い理由がある訳では無い(以前のHKS レーシングアルテッツァのように、何でもありではやりかねないメーカーが存在する)。
その他に
- Sタイヤの禁止(速度の抑制のため。初年度は許可されていた)
- サイドバー付8点式以上のロールバーの装着(Tボーンクラッシュからドライバーを守るため)
- スモークウィンドウの禁止(ドライバーを審査員から見やすくするため)
- 助手席の装着(メイドインストリートの象徴として)
- 触媒装着+音量の制限(各サーキットの最大音量以下遵守)
などが定められている。
[編集] 審査方法
土屋圭市(審査委員長)・織戸学(2004年まで審査委員)・鈴木学(審査委員・MC担当)が審査を担当。各走行にポイントを割り振り(100点満点)、3人の審査委員平均で勝負が決まる。土屋圭市の意思が強く審査結果に反映されることが多いことから、フェアな審査を望む声が近年増えている。なお、2005年からは織戸学が選手に転向したため、土屋圭市と鈴木学の2名で審査を行っているほか、コース脇に副審査員を配して接触やアンダーステアなどの確認をしている。
2人体制となってからは、鈴木学は大きく審査に関わっていない事が、オフィシャルブックによって公開されている。
彼が行っているのは、単走1~3本目の得点が全て一緒だったときの順位付けと、追走トーナメントの3~4位、5~8位、9~16位それぞれの順位決定の二箇所である。ただし、前者は一度も適用例が無い。
[編集] 本戦の走行方式
- 1回戦(単走)
- 3本1セットで規定区間をドリフト走行。3本中の最高得点が用られ審査される(最高得点が同点だった場合は次に良い得点、ここも同点の場合は3番目の得点。そしてこの3つが全て一緒の場合のみ鈴木学の得点で順位が決定する)。この戦いで16名が次のトーナメントに進める。2006年より単走で100点を取ると、シリーズポイントに1ポイント加算される。
- トーナメント(追走)
[編集] 審査ポイント
単走では、コーナーへの進入スピード、角度、ライン(俗に飛距離と角度と滞空時間と表現されることも)そしてどれだけ危険(壁など)に迫ることが出来たかが審査のポイントになる。追走では、相手よりも「スゴイ」走り(追い抜き、後ろからピッタリ寄せるなど)が出来たかがポイントとなり、単走でのポイントよりも重視される。スピン、アンダーステアはノーポイント。
単走、追走共に審査基準自体が年々変わってきている
具体的には
- 2001年度…単走、追走ともに速度重視。
- 2002年度…単走は角度、追走は角度が甘くても接近すること。
- 2003年度…単走は速度と共に角度、追走は距離を詰めて角度が甘すぎない事。
- 2004年度…単走は速度を殺さずに角度を付け、白煙を出すこと。追走は距離を詰める事はもちろんだが、角度が負けない事。
- 2005年度~…単走はラインを外さずに角度と白煙の走り。追走はきちんとしたラインで入り、同じ角度で距離を詰める事。
[編集] 過去の総合優勝者
- 第1回大会(2001年) 谷口信輝 車両:シルビア(S15)
- 第2回大会(2002年) 植尾勝浩 車両:スプリンタートレノ(AE86)
- 第3回大会(2003年) 今村陽一 車両:RX-7(FD3S)
- 第4回大会(2004年) 三木竜二 車両:シルビア(S15)
- 第5回大会(2005年) 風間靖幸 車両:シルビア(S15)
[編集] 主な出場選手と使用車両
- 三木竜二 フェアレディZ(Z33)
- 今村陽一 フェアレディZ(Z33)
- 風間靖幸 シルビア(S15)
- 野村謙 スカイライン(ER34)
- 熊久保信重 インプレッサ(GDB)
- 前田謙 スプリンタートレノ(AE86)
- 田中一弘 インプレッサ(GDB)
- 日比野哲也 カローラレビン(AE86)
- 松田豊久 カローラレビン(AE86)
- 上野高広 ソアラ(JZZ30)
- 内海彰乃 RX-7(FD3S)
- 末永正雄 RX-7(FD3S)
- 寺崎源 S2000(AP1)
- 植尾勝浩 フェアレディZ(Z33)
- 織戸学 スープラ(JZA80)
- 吉岡稔記 スプリンタートレノ(AE86)
- 川畑真人 シルビア(S15)
- 手塚強 スカイライン(BNR32)
- 高橋邦明 チェイサー(JZX100)
- 末永直登 インプレッサ(GC1)
- 福田浩司 180SX(RPS13)