ノート:内閣総理大臣の一覧
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出身藩(選出県)を付記。未完成につき、協力者募集。Jedi 05:59 2003年10月11日 (UTC)
- 記事内に書けばいいのでは?tanuki_Z 06:02 2003年10月11日 (UTC)
- リストにあると権力の変遷が俯瞰できるおもしろさがありますよ。Jedi 06:07 2003年10月11日 (UTC)
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- 戦後政治では出身県の影響はかなり小さいと思いますが、それならどうぞ。tanuki_Z 06:24 2003年10月11日 (UTC)
記事名は、「日本の内閣総理大臣」とすべきではないかと。総理大臣は略称ですので。Falcosapiens 04:20 2004年5月4日 (UTC)
- ごもっとも。ただ、「内閣総理大臣」は日本にしかないので(つまり、他国の首相を「内閣総理大臣」とは呼ばないので)、「内閣総理大臣の一覧」にすべきだと思います。既に、内閣総理大臣という記事があるので、そちらと統合しても良いのかもしれませんが、一覧だけでもちょっと分量があるので別記事のままにしておきましょうか。oxhop 12:38 2004年5月28日 (UTC)
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[編集] 無意味な全角スペース多用にうんざり
ここ数日、いろんなところで党派厨・スペース厨の活動をして改竄を繰り返している60.34.20.158 氏の所業に辟易しておりました。
220.213.82.195 氏の勇気ある、かつ冷静な行動を全面的に支持します。
内閣総理大臣とは公職です。その任免は官報に掲載され、宮中で認証式も行われるのです。
たとえ連続再任でも、新内閣であればきちんと手続をしている。だから「〃」などを多用して軽んじるべきでない。それに派閥なんて、公職に比べれば正確な確認資料が入手困難なシロモノ。就任日や退任日だって正確なものは分からない。党役職も同様に公的な職ではなく、内閣総理大臣の一覧に加えるにはデータとしての正確性も性格もあまりにも違う。
ただ、ここは私のような官報正確性追求オタクの落書き帳でなく、百科事典の場。参考情報として派閥も必要かなとは思います。でも名前の横に括弧で(しかもスペースふんだんで)付け加えるなんて見栄えが悪すぎ。
今回の220.213.82.195氏のように、情報としての有用性を認めつつ、右の備考欄に移したのは素晴らしい処置だと思います。
それにしてもなぜ周囲にスペースを必要とする「〃」を使うのでしょう。全角スペースを多用する人をネットでは「スペース厨」などと言いますが、PCの環境というのは千差万別で画面の大きさもフォントも違う。だから自分のところで綺麗に見えても全員がそうとは限らない。自分のことしか考えず頑固に全角スペースを、しかも官庁公文書の名前記載方式である「5文字原則」にしたがい挿入するのは「みんなの百科事典」としての性格を無視しているとしか思えません。
ここは日本の公文書の書式をひけらかす場ではないのです。全員の姓と名の間に半角なり全角のスペースを1個だけ入れるのなら分かります。区別する目的が明確ですから。でも日本の官庁の5文字原則だと、西一という人は「西___一」となり間が開きすぎ、佐々木一郎という人は「佐々木一郎」で、姓と名の区別には全く役立だたず、スペースの意味がない。ただ単に役所での名前の書き方を意味もなく持ち込んでる自己満足だけで百科事典には何の貢献もない。スペースは「入れない」又は入れるなら「1個だけ」にして下さいよ。できれば半角でね。
ここはあなたの落書き帳ではないのです。我を通すならご自分のPC内だけでご存分にどうぞ。 無言雀師
戦後の分について、在職期間を修正。誤記修正と、「首相官邸ホームページ」 [1]に基づく。 Northdown 2006年9月10日 (日) 02:35 (UTC)
[編集] ベスト5
こういうの面白いですね。掲載した方は匿名ですが、投稿に感謝します。--Mackacka 2006年9月26日 (火) 09:51 (UTC)
[編集] 臨時代理について
濱口雄幸内閣の時の幣原喜重郎臨時代理は濱口首相が狙撃され入院していた期間即ち在職中の臨時代理であり空白期間の臨時代理ではありません。 (「首相官邸ホームページ」[2]でも省略されています。) 濱口首相入院中の幣原臨時代理を掲載するのならば、27濱口雄幸の備考に掲載するべきであり、 また辞職に繋がった入院中の臨時代理が掲載の理由であるならば、 石橋湛山内閣の岸信介臨時代理や小渕恵三内閣の青木幹雄臨時代理もそれぞれの備考に掲載した方が良いのではないでしょうか?
- ああ、そうですね。空白期間は実際には無いようですし(4月13日辞職、14日に次の内閣発足)、備考欄のほうがいいでしょう。青木さんや岸さんも書いておいたほうがいいでしょう。--210.131.1.55 2006年9月27日 (水) 10:27 (UTC)
[編集] 在任期間について
東久邇宮内閣は1945年8月17日成立、1945年10月5日総辞職なのですが、在任期間は50日ではないでしょうか?総辞職後も幣原内閣が成立する1945年10月9日まで存在していたとするなら、在任期間は54日でいいのですが、その辺どうなんでしょう?日本国憲法下であれば、総辞職後も次期内閣成立まで職務執行内閣として存在するようなんですが(内閣総辞職)、大日本帝国憲法下もそうだったのか………。あと、吉田茂以前の在任期間が結構いいかげんなような(次期内閣成立までにしてあったり、総辞職の日にしてあったり統一性が無かった。多少修正しましたが)--Monaneko 2006年9月28日 (木) 16:31 (UTC)
[編集] 小渕恵三の職歴について
細かい話で恐縮です。2006年10月付けで職歴無が会社役員(実家の家業を想定?)に変更されていますが、WKIの当該項目で、早大大学院在学中の1963年11月、第30回衆議院議員総選挙に旧群馬3区から自民党公認で出馬し、47350票を獲得し初当選(4議席中3位当選)。26歳という若さであった。となっています。大学院生から議員となると職歴無が妥当の気がしますが、いかがでしょう?--133.9.4.12 2006年10月31日 (火) 21:23 (UTC)