内閣総理大臣の一覧
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内閣総理大臣の一覧(ないかくそうりだいじんのいちらん)は、1885年(明治18年)に設けられた日本の行政最高官職である内閣総理大臣の、2006年現在まで計57人の一覧である。
目次 |
[編集] 大日本帝国憲法下の内閣総理大臣
凡例:代、人数の欄の違いは、二期以上勤めた総理大臣を重複して数えるかどうか。
[編集] 明治
代 | 人数 | 氏名 | 在職期間 | 出身地 | 学職歴 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 伊藤博文 |
1885年12月22日 - 1888年4月30日 |
長州藩/山口県 | 松下村塾出身 元老 |
長州閥 |
2 | 2 | 黒田清隆 (くろだ・きよたか) |
1888年4月30日 - 1889年10月25日 |
薩摩藩/鹿児島県 | - 元老 |
薩摩閥 |
― | 空白期間 | 内大臣・三條實美が兼任 | ||||
3 | 3 | 山縣有朋 (やまがた・ありとも) |
1889年12月24日 - 1891年5月6日 |
長州藩/山口県 | 松下村塾出身 陸軍軍人 元老 |
長州閥 |
4 | 4 | 松方正義 (まつかた・まさよし) |
1891年5月6日 - 1892年8月8日 |
薩摩藩/鹿児島県 | - 元老 |
薩摩閥 |
5 | 4 | 伊藤博文 | 1892年8月8日 - 1896年8月31日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
― | 空白期間 | 枢密院議長・黒田清隆が臨時兼任 | ||||
6 | 4 | 松方正義 | 1896年9月18日 - 1898年1月12日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
7 | 4 | 伊藤博文 | 1898年1月12日 - 1898年6月30日 |
(略) | (略) | 第三次内閣 |
8 | 5 | 大隈重信 (おおくま・しげのぶ) |
1898年6月30日 - 1898年11月8日 |
佐賀藩/佐賀県 | 佐賀藩蘭学寮出身 - |
肥前閥・憲政党総裁 最初の政党内閣(隈板内閣) |
9 | 5 | 山縣有朋 | 1898年11月8日 - 1900年10月19日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
10 | 5 | 伊藤博文 | 1900年10月19日 - 1901年5月10日 |
(略) | (略) | 第四次内閣 |
― | 空白期間 | 枢密院議長・西園寺公望が臨時兼任 | ||||
11 | 6 | 桂太郎 (かつら・たろう) |
1901年6月2日 - 1906年1月7日 |
長州藩/山口県 | - 陸軍軍人 元老 |
長州閥 |
12 | 7 | 西園寺公望 (さいおんじ・きんもち) |
1906年1月7日 - 1908年7月14日 |
旧公家/京都府 | パリ大卒 元老 |
立憲政友会総裁 |
13 | 7 | 桂太郎 | 1908年7月14日 - 1911年8月30日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
14 | 7 | 西園寺公望 | 1911年8月30日 - 1912年12月21日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
[編集] 大正
大正天皇治世の内閣総理大臣(1921年11月から皇太子【後の昭和天皇】が摂政):内閣一覧
代 | 人数 | 氏名 | 在職期間 | 出身地 | 学職歴 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
15 | 7 | 桂太郎 | 1912年12月21日 - 1913年2月20日 |
(略) | (略) | 第三次内閣 |
16 | 8 | 山本權兵衞 (やまもと・ごんべえ) |
1913年2月20日 - 1914年4月16日 |
薩摩藩/鹿児島県 | 海軍兵学寮卒 海軍軍人 |
薩摩閥 |
17 | 8 | 大隈重信 | 1914年4月16日 - 1916年10月9日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
18 | 9 | 寺内正毅 (てらうち・まさたけ) |
1916年10月9日 - 1918年9月29日 |
長州藩/山口県 | - 陸軍軍人 |
長州閥 |
19 | 10 | 原敬 (はら・たかし) |
1918年9月29日 - 1921年11月4日 |
盛岡藩/岩手県 | 司法省法学校中退 新聞記者 外務官僚 |
立憲政友会総裁・衆議院議員 在任中暗殺 |
― | 空白期間 | 外務大臣・内田康哉が臨時兼任 | ||||
20 | 11 | 高橋是清 (たかはし・これきよ) |
1921年11月13日 - 1922年6月12日 |
仙台藩/東京府 | - 日銀総裁 |
立憲政友会総裁・衆議院議員 |
21 | 12 | 加藤友三郎 (かとう・ともさぶろう) |
1922年6月12日 - 1923年8月24日 |
広島藩/広島県 | 海軍兵学寮卒 海軍軍人 |
|
― | 空白期間 | 外務大臣・内田康哉が臨時兼任 | ||||
22 | 12 | 山本權兵衞 | 1923年9月2日 - 1924年1月7日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
23 | 13 | 清浦奎吾 (きようら・けいご) |
1924年1月7日 - 1924年6月11日 |
熊本藩/熊本県 | 咸宜園出身 司法官僚 |
貴族院議員 |
24 | 14 | 加藤高明 (かとう・たかあき) |
1924年6月11日 - 1926年1月28日 |
尾張藩/愛知県 | 東大法卒 三菱役員 外務官僚 |
憲政会総裁・衆議院議員 在任中に病死。 |
― | 空白期間 | 内務大臣・若槻禮次郎が臨時兼任 |
[編集] 昭和
代 | 人数 | 氏名 | 在職期間 | 出身地 | 学職歴 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
25 | 15 | 若槻禮次郎 (わかつき・れいじろう) |
1926年1月30日 - 1927年4月20日 |
松江藩/島根県 | 東大法卒 大蔵官僚 衆議院議員 |
憲政会総裁 |
26 | 16 | 田中義一 (たなか・ぎいち) |
1927年4月20日 - 1929年7月2日 |
長州藩/山口県 | 陸大卒 陸軍軍人 |
立憲政友会総裁 |
27 | 17 | 濱口雄幸 (はまぐち・おさち) |
1929年7月2日 - 1931年4月14日 |
土佐藩/高知県 | 東大法卒 大蔵官僚 衆議院議員 |
立憲民政党総裁 在任中狙撃され、 外務大臣幣原が臨時兼任 |
28 | 17 | 若槻禮次郎 | 1931年4月14日 - 1931年12月13日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
29 | 18 | 犬養毅 (いぬかい・つよし) |
1931年12月13日 - 1932年5月16日 |
庭瀬藩/岡山県 | 慶応義塾中退 新聞記者 衆議院議員 |
立憲政友会総裁 在任中襲撃(五・一五事件)翌日死去 |
― | 空白期間 | 大蔵大臣・高橋是清が臨時兼任 | ||||
30 | 19 | 齋藤實 (さいとう・まこと) |
1932年5月26日 - 1934年7月8日 |
水沢藩/岩手県 | 海軍兵学寮卒 海軍軍人 |
|
31 | 20 | 岡田啓介 (おかだ・けいすけ) |
1934年7月8日 - 1936年3月9日 |
越前藩/福井県 | 海大卒 海軍軍人 |
在任中襲撃(二・二六事件) |
32 | 21 | 広田弘毅 (ひろた・こうき) |
1936年3月9日 - 1937年2月2日 |
福岡県 | 東大法卒 外務官僚 |
|
33 | 22 | 林銑十郎 (はやし・せんじゅうろう) |
1937年2月2日 - 1937年6月4日 |
石川県 | 陸大卒 陸軍軍人 |
|
34 | 23 | 近衞文麿 (このえ・ふみまろ) |
1937年6月4日 - 1939年1月5日 |
東京府/東京都 (旧公家、京都府) |
京大法卒 公家華族 貴族院議員 |
|
35 | 24 | 平沼騏一郎 (ひらぬま・きいちろう) |
1939年1月5日 - 1939年8月30日 |
津山藩/岡山県 | 東大法卒 司法官僚 |
前枢密院議長 |
36 | 25 | 阿部信行 (あべ・のぶゆき) |
1939年8月30日 - 1940年1月16日 |
石川県 | 陸大卒 陸軍軍人 |
|
37 | 26 | 米内光政 (よない・みつまさ) |
1940年1月16日 - 1940年7月22日 |
岩手県 | 海大卒 海軍軍人 |
|
38 | 26 | 近衞文麿 | 1940年7月22日 - 1941年7月18日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
39 | 26 | 近衞文麿 | 1941年7月18日 - 1941年10月18日 |
(略) | (略) | 第三次内閣 |
40 | 27 | 東條英機 (とうじょう・ひでき) |
1941年10月18日 - 1944年7月22日 |
岩手県 (出生地:東京府/東京都) |
陸大卒 陸軍軍人 |
|
41 | 28 | 小磯國昭 (こいそ・くにあき) |
1944年7月22日 - 1945年4月7日 |
栃木県 | 陸大卒 陸軍軍人 |
|
42 | 29 | 鈴木貫太郎 (すずき・かんたろう) |
1945年4月7日 - 1945年8月17日 |
関宿藩/千葉県 (出生地は泉州/大阪府) |
海大卒 海軍軍人 |
|
43 | 30 | 東久邇宮稔彦 (ひがしくにのみや・なるひこ) |
1945年8月17日 - 1945年10月9日 |
京都府 |
皇族 陸大卒 陸軍軍人 |
※連合軍占領下 |
44 | 31 | 幣原喜重郎 (しではら・きじゅうろう) |
1945年10月9日 - 1946年5月22日 |
大阪府 | 東大法卒 外務官僚 貴族院議員 |
元外務大臣 ※連合軍占領下 |
45 | 32 | 吉田茂 (よしだ・しげる) |
1946年5月22日 - 1947年5月24日 |
東京府/東京都 (選挙区は高知県) |
東大法卒 外務官僚 |
自由党総裁 ※連合軍占領下 |
[編集] 昭和
参考:内閣一覧
代 | 人数 | 氏名 | 在職期間 | 出身地 | 学職歴 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
46 | 33 | 片山哲 (かたやま・てつ) |
1947年5月24日 - 1948年3月10日 |
和歌山県 (選挙区は神奈川県) |
東大法卒 弁護士 |
日本社会党委員長 ※連合軍占領下 |
47 | 34 | 芦田均 (あしだ・ひとし) |
1948年3月10日 - 1948年10月15日 |
京都府 | 東大法卒 外務官僚 |
日本民主党総裁 ※連合軍占領下 |
48 | 34 | 吉田茂 | 1948年10月15日 - 1949年2月16日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 ※連合軍占領下 |
49 | 34 | 吉田茂 | 1949年2月16日 - 1952年10月30日 |
(略) | (略) | 第三次内閣 ※連合軍(GHQ)占領下 ※1952年4月28日主権回復 |
50 | 34 | 吉田茂 | 1952年10月30日 - 1953年5月21日 |
(略) | (略) | 第四次内閣 |
51 | 34 | 吉田茂 | 1953年5月21日 - 1954年12月10日 |
(略) | (略) | 第五次内閣 |
52 | 35 | 鳩山一郎 (はとやま・いちろう) |
1954年12月10日 - 1955年3月19日 |
東京府/東京都 | 東大法卒 東京市議 |
日本民主党総裁 |
53 | 35 | 鳩山一郎 | 1955年3月19日 - 1955年11月22日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
54 | 35 | 鳩山一郎 | 1955年11月22日 - 1956年12月23日 |
(略) | (略) | 第三次内閣 自由民主党総裁 |
55 | 36 | 石橋湛山 (いしばし・たんざん) |
1956年12月23日 - 1957年2月25日 |
東京府/東京都 (選挙区は静岡県) |
早大文卒 ジャーナリスト |
自由民主党総裁 発足直後に発病し、 外務大臣・岸信介が臨時代理 |
56 | 37 | 岸信介 (きし・のぶすけ) |
1957年2月25日 - 1958年6月12日 |
山口県 | 東大法卒 商工官僚 |
自由民主党総裁 |
57 | 37 | 岸信介 | 1958年6月12日 - 1960年7月19日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
58 | 38 | 池田勇人 (いけだ・はやと) |
1960年7月19日 - 1960年12月8日 |
広島県 | 京大法卒 大蔵官僚 |
自由民主党総裁 |
59 | 38 | 池田勇人 | 1960年12月8日 - 1963年12月9日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
60 | 38 | 池田勇人 | 1963年12月9日 - 1964年11月9日 |
(略) | (略) | 第三次内閣 |
61 | 39 | 佐藤榮作 (さとう・えいさく) |
1964年11月9日 - 1967年2月17日 |
山口県 | 東大法卒 運輸官僚 |
自由民主党総裁 |
62 | 39 | 佐藤榮作 | 1967年2月17日 - 1970年1月14日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
63 | 39 | 佐藤榮作 | 1970年1月14日 - 1972年7月7日 |
(略) | (略) | 第三次内閣 |
64 | 40 | 田中角榮 (たなか・かくえい) |
1972年7月7日 - 1972年12月22日 |
新潟県 | 中央工学校卒 会社社長 |
自由民主党総裁 |
65 | 40 | 田中角榮 | 1972年12月22日 - 1974年12月9日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
66 | 41 | 三木武夫 (みき・たけお) |
1974年12月9日 - 1976年12月24日 |
徳島県 | 明大法卒 職歴無 |
自由民主党総裁 |
67 | 42 | 福田赳夫 (ふくだ・たけお) |
1976年12月24日 - 1978年12月7日 |
群馬県 | 東大法卒 大蔵官僚 |
自由民主党総裁 |
68 | 43 | 大平正芳 (おおひら・まさよし) |
1978年12月7日 - 1979年11月9日 |
香川県 | 東京商大卒 大蔵官僚 |
自由民主党総裁 |
69 | 43 | 大平正芳 | 1979年11月9日 - 1980年6月12日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 在任中心筋梗塞で急死 |
― | 空白期間 | 内閣官房長官・伊東正義が臨時代理 | ||||
70 | 44 | 鈴木善幸 (すずき・ぜんこう) |
1980年7月17日 - 1982年11月27日 |
岩手県 | 水産講習所卒 漁協役員 |
自由民主党総裁 |
71 | 45 | 中曽根康弘 (なかそね・やすひろ) |
1982年11月27日 - 1983年12月27日 |
群馬県 | 東大法卒 内務官僚 |
自由民主党総裁 |
72 | 45 | 中曽根康弘 | 1983年12月27日 - 1986年7月22日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
73 | 45 | 中曽根康弘 | 1986年7月22日 - 1987年11月6日 |
(略) | (略) | 第三次内閣 |
74 | 46 | 竹下登 (たけした・のぼる) |
1987年11月6日 - 1989年6月3日 |
島根県 | 早大商卒 島根県議 |
自由民主党総裁 |
[編集] 平成
参考:内閣一覧
代 | 人数 | 氏名 | 在職期間 | 出身地 | 学職歴 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
75 | 47 | 宇野宗佑 (うの・そうすけ) |
1989年6月3日 - 1989年8月10日 |
滋賀県 | 神戸商大中退 滋賀県議 |
自由民主党総裁 |
76 | 48 | 海部俊樹 (かいふ・としき) |
1989年8月10日 - 1990年2月28日 |
愛知県 | 早大法卒 議員秘書 |
自由民主党総裁 |
77 | 48 | 海部俊樹 | 1990年2月28日 - 1991年11月5日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
78 | 49 | 宮澤喜一 (みやざわ・きいち) |
1991年11月5日 - 1993年8月9日 |
広島県 (出生地は東京府/東京都) |
東大法卒 大蔵官僚 |
自由民主党総裁 |
79 | 50 | 細川護熙 (ほそかわ・もりひろ) |
1993年8月9日 - 1994年4月28日 |
熊本県 (出生地は東京府/東京都) |
上智大法卒 熊本県知事 |
日本新党代表 |
80 | 51 | 羽田孜 (はた・つとむ) |
1994年4月28日 - 1994年6月30日 |
長野県 (出生地は東京府/東京都) |
成城大経卒 会社員 |
新生党党首 |
81 | 52 | 村山富市 (むらやま・とみいち) |
1994年6月30日 - 1996年1月11日 |
大分県 | 明大政経卒 大分県議 |
日本社会党委員長 |
82 | 53 | 橋本龍太郎 (はしもと・りゅうたろう) |
1996年1月11日 - 1996年11月7日 |
岡山県 (出生地は東京府/東京都) |
慶大法卒 会社員 |
自由民主党総裁 |
83 | 53 | 橋本龍太郎 | 1996年11月7日 - 1998年7月30日 |
(略) | (略) | 第二次内閣(自民単独) |
84 | 54 | 小渕恵三 (おぶち・けいぞう) |
1998年7月30日 - 2000年4月5日 |
群馬県 | 早大院修 会社役員 |
自由民主党総裁 在任中に脳梗塞、 官房長官・青木幹雄が臨時代理 |
85 | 55 | 森喜朗 (もり・よしろう) |
2000年4月5日 - 2000年7月4日 |
石川県 | 早大商卒 新聞記者 |
自由民主党総裁 |
86 | 55 | 森喜朗 | 2000年7月4日 - 2001年4月26日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
87 | 56 | 小泉純一郎 (こいずみ・じゅんいちろう) |
2001年4月26日 - 2003年11月19日 |
神奈川県 | 慶大経卒 議員秘書 |
自由民主党総裁 |
88 | 56 | 小泉純一郎 | 2003年11月19日 - 2005年9月21日 |
(略) | (略) | 第二次内閣 |
89 | 56 | 小泉純一郎 | 2005年9月21日 - 2006年9月26日 |
(略) | (略) | 第三次内閣 |
90 | 57 | 安倍晋三 (あべ・しんぞう) |
2006年9月26日 - |
山口県 (出生地は東京都) |
成蹊大法卒 会社員 |
自由民主党総裁 |
[編集] 記録
[編集] 在職日数の多い総理大臣
- 通算在職日数
- 桂太郎 - 2,886日(第11,13,15代)
- 佐藤栄作 - 2,798日(第61,62,63代)
- 伊藤博文 - 2,720日(初代、第5,7,10代)
- 吉田茂 - 2,616日(第45,48,49,50,51代)
- 小泉純一郎 - 1,980日(第87,88,89代)
- 連続在職日数
- 佐藤栄作 - 2,798日(第61,62,63代)
- 吉田茂 - 2,257日(第48,49,50,51代)
- 小泉純一郎 - 1,980日(第87,88,89代)
- 中曽根康弘 - 1,806日(第71,72,73代)
- 桂太郎 - 1,681日(第11代)
- 一代当たりの在職日数
[編集] 在職日数の短い総理大臣
[編集] 就任年齢の若い総理大臣
[編集] 就任年齢の高い総理大臣
- 鈴木貫太郎 - 77歳(第42代)
- 犬養毅 - 76歳(第29代)
- 清浦奎吾 - 73歳(第23代)
- 齋藤實 - 73歳(第30代)
- 幣原喜重郎 - 73歳(第44代、戦後最年長)
- 宮澤喜一 - 72歳(第78代)