十返舎一九
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十返舎 一九(じっぺんしゃ いっく、男性、明和2年(1765年) - 天保2年8月6日(1831年9月11日))は、江戸時代の浄瑠璃・滑稽本作者。本名、重田貞一(しげた さだかず)。別名、駿河屋藤兵衛、近松余七。一説に、十返舎一九というペンネームは複数の人物に使われたと言われている。本人、子供、孫だと想定される。
駿河府中の武家の家に生まれ、若くして小田切土佐守に従って江戸から大坂に行き、致仕放浪する。江戸の書店蔦屋重三郎のもとに居候する。ここで浮世絵制作の手伝いや挿絵を描くうちに才能を見出され、寛政7年に黄表紙『心学時計草』(しんがくとけいぐさ)を出版、評判を得る。
代表作は滑稽本の『東海道中膝栗毛』。1802年の初編で好評を得て、『金比羅参詣』『宮島参詣』『木曽街道』など次々と続編が出され、21年間でシリーズは完結する。洒落本、人情本や読本、狂歌や書画などの他、「諸民通用案文」など啓蒙的評論も記した。著作で得たお金で生計を立てた最初の人と見なされるが、晩年は酒毒にやられ、生活は苦しかったようである。
1831年に67歳で没。この後火葬にされた際、一九があらかじめ体に仕込んでおいた花火に点火し、それが上がったという逸話がある。
辞世の句は「この世をば どりゃお暇(いとま)に 線香の 煙とともに 灰(はい)左様なら」。