合唱指揮者
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合唱指揮者(がっしょうしきしゃ)とは、合唱団の指揮者。これには3つの使われ方がある。
- 管弦楽伴奏の合唱曲、合唱つき交響曲、オペラなどオーケストラを伴う作品において、合唱団のみを事前に訓練する者。指揮者のタクトが合唱団員から見えにくい場合や、合唱団員が舞台裏にいる場合のみに指揮をするということもある。
- 合唱曲を専門に演奏する指揮者。
- (1、2であるかどうかを問わずに)単に、合唱団の指揮者。
1の意味の合唱指揮者は、エクトル・ベルリオーズの『管弦楽法』の巻末「指揮者・指揮法の理論」にも見える。19世紀には大勢の奏者を必要とする作品やイベントが続々と現れ、彼も自らの指揮とは別に副指揮者や合唱指揮者を使っていた。1844年8月のパリ音楽祭においては1200人を指揮するために、5人の合唱指揮者を必要とするほどであった。彼は合唱指揮者の有用性を認めつつも、テンポを一定に保つことさえできないようなレベルの指導者に幾人と出会ってきたためか、彼らを「危険な助手」と呼んで読者に警告した。
演奏会やCDに名前が記載される確率がコンサート・マスターに比べても高いことから、合唱指揮者の役割はとりわけ重要なものと考えられている。
2の意味の合唱指揮者は概して、管弦楽伴奏の合唱曲よりも無伴奏、あるいは小規模な伴奏のものを好み、前者の演奏の際には、主指揮者になるよりはむしろ1の意味での合唱指揮者を担当する傾向にある。これは、専門的な指揮教育をあまり、あるいはまったく受けていない(すなわち、オーケストラを指揮する経験をそれほど持たなかった)者が多いことによるものである。独学ながらオーケストラを振る機会に恵まれたロバート・ショウもこの傾向の外にはいなかった。
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[編集] 合唱指揮者になった作曲家
この項での合唱指揮者とは、3の意味でのそれである。19世紀から20世紀前半にかけてヨーロッパに起こった各種の合唱運動は、作曲家に2つの仕事をもたらした。1つはもちろん合唱団への作品提供であり、もう1つは合唱指揮である。19世紀にはシューマン、ワーグナー、リスト、グノー、ブルックナーなど、20世紀にはホルスト、アルヴェーン、ヴェーベルンなどがこの仕事にたずさわった。作曲家にとって合唱団を指揮することは自らの作品を(管弦楽曲などに比べて)容易に発表できる絶好の機会であり、今日でも演奏されている彼らの作品の何割かは、自らの指揮によって世に送り出されたのである。
現在は作曲と指揮の分業が進んだことなどから、合唱指揮を経験している作曲家は、合唱曲中心に作曲している者を除くと少なくなった。なお、「合唱指揮者になった日本人作曲家」には、合唱団を自ら創設した大中恩、荻久保和明、松下耕や、東京男声合唱団の指揮者になった清水脩、石井歓、佐藤眞などがいる。
[編集] 主な合唱指揮者
[編集] 日本以外
あ
- エリク・エリクソン
- ジョン・オールディス
か
- トヌ・カリユステ
- ゲイリー・グラーデン
- ハリー・クリストファーズ
さ
- デーネシュ・サボー
- ロバート・ショウ
た な は
- ポール・ヒリアー
- フィリップ・ヘレヴェッヘ
- カール・ホグセット
ま
- リチャード・マーロウ
や ら
わ
- ロジェ・ワーグナー
[編集] 日本
あ
か
さ
- 清水敬一
- 須賀敬一
- 鈴木捺香子
- 住吉三滋
- 洲脇光一
- 関屋晋
た
な
- 中村仁策
- 西岡茂樹
は
ま
や
- 山口秀樹
- 吉村信良
- 吉森章夫
ら わ
[編集] 参考文献
- エクトール・ベルリオーズ、リヒャルト・シュトラウス『管弦楽法』音楽之友社、2006年、pp.551-552