国際千葉駅伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国際千葉駅伝(こくさいちばえきでん)は、11月23日(当日が日曜日の場合は11月24日)に千葉県千葉市を舞台に行われる駅伝の国際大会で、1988年から開催され、1989年を除いて毎年行われている。別名・『駅伝/世界一決定戦(駅伝ワールドカップ)』や『世界最大のEKIDEN』とも言われている。男子と女子のレースは同日に行われる。2005年からは国際陸上競技連盟公認コースとなっている。
目次 |
[編集] 歴史
- 第1回(1988年) 瀬古利彦の引退レースとなる。
- 第9回(1997年) 高橋尚子がアンカーとして日本チームに出場。
- 第13回(2001年)日本チームが女子の部で10連覇を達成。
- 第14回(2002年)男子の部に日本学生選抜が加わる。
- 第16回(2004年)エチオピアが3年連続男女アベック優勝。
- 第17回(2005年)区間距離変更に伴い、国際陸連公認のコースとなる。
- 第18回(2006年)女子の部にも日本学連選抜が加わる。ケニアが2年連続男女アベック優勝。
[編集] 中継する放送局
- 男子・女子同時開催(女子は10分遅れスタート)の大会のため、男子は生中継、女子は男子中継終了後に録画中継となっている。なお女子に関しても録画中継であるが、時間短縮などは行われていない(いわゆる撮って出し)。
- なお中継では、フジテレビ系列各局のアナウンサーやスタッフ、移動中継車が会場の千葉県総合スポーツセンターに集結してくる。2005年は関西テレビ、東海テレビ、福島テレビの中継車が使われ、過去には北海道文化放送の中継車も使われた。
ラジオ:ニッポン放送で関連の交通情報を放送
[編集] メインスポンサーについて
- 男子
- 1988年 - サンウェーブ
- 1998年 - ライフ
- 1999年~2000年 - 日産自動車
- 2001年~2004年 - ライフ
- 2005年~ - 日産自動車
- 女子
同大会の冠スポンサーには、かつてはサンウェーブや川崎製鉄グループ(現在のJFEグループ)があったが、同社の経営悪化や日本国内における鉄鋼業界の不況などを理由に冠スポンサーを降板。代わって、旧長銀系列からアイフル全額出資子会社となったライフカード(現:LifeCard)が近年、同大会の冠スポンサーとなっていたが、2005年からは日産自動車が協賛を努める(尚、日産は2000年大会の冠スポンサーも努めた)。
[編集] オフィシャルカー
大会オフィシャルカーはこれまで、日産の他、トヨタ自動車、ダイハツ工業(2001年男子)、スズキ(1995年)、本田技研工業(2005年女子)が協賛した。
[編集] コース
千葉県総合スポーツセンター陸上競技場→千葉ポートタワー前(第1折り返し)→海浜幕張駅前(第2折り返し)→幕張メッセ/千葉マリンスタジアム前(第3折り返し)→千葉県総合スポーツセンター陸上競技場
男女ともに6区間/42,195km
[編集] 全体の見どころ
- 山や高架橋などの起伏が激しく、また潮風やビル風が区間によって強くなるなど、そのときの自然条件によって戦い方が毎年変わってくるコース。
- そのため、この大会では各チームの激しい駆け引きが行われることが多い。
2000年代に入ってからは主にエチオピア・ケニア勢が上位を占め、そこに日本チームがどこまでついていけるか、そして学生選抜、千葉選抜のがんばりも見物。
[編集] 1区(5.0km)
(スタート)千葉県総合スポーツセンター陸上競技場→国道16号→第1中継所(中央区道場北)
- 全体的に下り坂。初めから下り坂を利用して飛ばし過ぎると後半、バテテしまう。2004年までは10km区間だったが2005年から半分の5kmになった為にスピード区間となる。
[編集] 2区(10.0km)
中央区道場北→(千葉ポートタワー 第1折り返し)→千葉みなと駅前→第2中継所(関東運輸局千葉運輸支局前)
- 2004年までは5kmとスピード区間だったが2005年から4区と共に10kmとエース区間へと変更したこの区間。前半最初の見せ場。此処に誰を持って来させるのかで試合は大きく変わる。
[編集] 3区(5.0km)
関東運輸局千葉運輸支局前→高浜団地前→第3中継所(稲毛海浜公園前)
- この区間は5kmのまま変わらないが国際陸連公認大会に成ったと言う事で1区同様に更なるスピードが出そう。後半は海沿いに出る為に風に注意!
[編集] 4区(10.0km)
稲毛海浜公園前→海浜幕張駅前 第2折返し→幕張メッセ/千葉マリンスタジアム両前 第3折返し→幕張ベイタウン→第4中継所(千葉市美浜区打瀬3丁目美浜大橋前)・全10km
- 第2区同様に10km走る後半のエース区間。前半は海岸沿いを走る為に年によっては…。後半はコーナーリング。幕張ベイタウンを通る際に次から次へとカーブが来るので最短コースを取るのがセオリー。
[編集] 5区(5.0km)
千葉市美浜区打瀬3丁目美浜大橋前→第5中継所(千葉市立花園中学校前)
- 「駅伝・世界一」を決定するに相応しい千葉名物の大坂。2004年までは男子大会はたった1人で、女子大会は2人に分けてとなっていたが2005年以降は男女共に2人に分けて走ることになった。大坂は7つの大上りで構成されるがこの5区では3つの坂を走る。
[編集] 6区(7.195km)
千葉市立花園中学校前→千葉県総合スポーツセンター陸上競技場(ゴール)・全7.195km
- 残りの4つの大上りを担当する最終の第6区。ゴールの陸上競技場でのラストスパートを駆ける為の余力は残っているか?
[編集] 歴代優勝国
年度 | 男子優勝 | 女子優勝 | トピックス |
---|---|---|---|
1988年 | エチオピア | ニュージーランド | |
1990年 | 日本 | ルーマニア | |
1991年 | オーストラリア | ケニア | |
1992年 | オーストラリア | 日本 | 男子では豪州が大会史上初の連覇/日本女子はここから10連覇の黄金時代が始まる。 |
1993年 | モロッコ | 日本 | |
1994年 | エチオピア | 日本 | |
1995年 | オーストラリア | 日本 | |
1996年 | 南アフリカ | 日本 | |
1997年 | ケニア | 日本 | |
1998年 | 日本 | 日本 | |
1999年 | 日本 | 日本 | |
2000年 | 日本 | 日本 | 日本が史上初の男女アベック優勝3連覇を達成。 |
2001年 | 南アフリカ | 日本 | 日本女子、前人未踏の10連覇を達成。 |
2002年 | エチオピア | エチオピア | エチオピアが日本以外で初のアベック優勝国となる。 |
2003年 | エチオピア | エチオピア | |
2004年 | エチオピア | エチオピア | エチオピア、日本が作った男女アベック制覇記録「3」に並ぶ。 |
2005年 | ケニア | ケニア | この年から国際陸連公認コースに。ケニアが3ヶ国目のアベック優勝国となる。
このときのケニアのメンバーは概ね日本の実業団・大学ランナー中心のチームだった。 |
2005年 | ケニア | ケニア | ケニアは男女共に前年同様、日本の実業団・大学ランナー中心になり、3ヶ国目のアベック連覇。また、男子では学連選抜が過去最高の4位。また、女子も学連選抜が初出場しこれまた4位入賞し、日本NTと同じレベルになったと考えられる。 |
- 上記のように日本は女子の10連覇を含め、男女とも優勝、もしくは上位入賞している。ただこの大会の時期が全日本実業団駅伝や全日本実業団女子駅伝の各地区予選や、箱根駅伝に向けたチーム内のメンバー選考レース(ハーフマラソンや記録会)などもあり、近年はナショナルチームも学生選抜も思うように選手を集められない傾向にある。
[編集] 大会記録
- 男子(国際公認コース)
- ケニアチーム 1時間57分06秒 (第17回。2005年11月23日。世界記録)
- 女子(国際公認コース)
- ケニアチーム 2時間13分33秒 (第17回。2005年11月23日)