地獄八景亡者戯
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地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)は、上方落語の演目の一つである。江戸落語では「地獄めぐり」と呼ばれる。
旅噺に分類され、「東の旅」こと「伊勢参宮神之賑」の一部に組み込まれたこともある。
通しで演じると1時間超である上、全編を通じて時事ネタを交えたギャグが入り、身ぶり手ぶりを交えた演出も多いなど、話し手にかなりの力量を要求する大ネタである。
3代目桂米朝の十八番として知られるが、平成に入ると演じなくなった。代わりに米朝一門を中心とした中堅世代が、次へのステップアップとして挑戦するケースが増えている。
米朝以外では2代目桂枝雀、桂文珍、桂吉朝らの口演が知られる。
天保年間に起源を求めることが出来る演目であるが、昭和戦前期には5代目笑福亭松鶴、3代目笑福亭福松らが伝えているに過ぎなかった。今日の「地獄八景」は、米朝が1954~55年頃に福松から教わり、再構築したものを基にしている。
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
サバを食べて食当たりで死んだ男が冥土で伊勢屋のご隠居と再会するところから始まり、三途の川下り、六道の辻、塞の河原、閻魔の庁などおなじみの地獄の風景を主人公が入れ替わりつつ描写し、地獄行きの判決が下った4人の男があれやこれやの手で鬼を困らせる下りまでを描く。オチは漢方薬の大黄にかけている。