大山峻護
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大山峻護(おおやま しゅんご 1974年4月11日 - )は日本の総合格闘家。栃木県出身。身長178cm、体重83.7kg。フリー。 強力なパンチと足関節技が武器。 「戦場のメリークリスマス」のトランス・リミックスバージョンが毎試合の入場曲。
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[編集] 来歴
国際武道大学出身。卒業後、プロデビューまでは京葉ガスに柔道選手として所属していた。
[編集] PRIDE時代
柔道とサンボをバックボーンに持ち、2000年の「アブダビ・コンバット」出場を契機として、2001年にアメリカの総合格闘技大会「キング・オブ・ザ・ケージ」でプロデビューを果たす。
同年5月にPRIDEのリングへ逆輸入の形で乗り込み、ヴァンダレイ・シウバと対戦した。 この試合で大山はKO負けを喫したが善戦し、ファンに印象を残す結果となる。
同年7月、ヴァリッジ・イズマイウと対戦、善戦するも肩固めで失神し、敗北。 直後大山は右目が網膜剥離になり、長期欠場を余儀なくされる。
2002年6月に復帰し、ヘンゾ・グレイシーに判定で勝利する。大山にとっては悲願のPRIDE初勝利で、判定で勝ちが宣告されると、歓喜の余りうずくまって号泣する程であったが、これと言った見せ場を作れず、ファン・関係者の評価は手厳しいものとなる。 また、この試合がヘンゾの弟であるハイアン・グレイシーの怒りを買う結果を招き、同年9月に大山とハイアンは対戦する。 この試合で大山は見せ場を作るも、腕ひしぎ逆十字固めで右腕をへし折られる。レフェリーが試合を止めた後、ハイアンは大山の顔面を蹴飛ばした上、"Mother fucker!"(「クソ野郎!」の意)と罵声を浴びせた。大山にとっては屈辱的な敗戦となる。
2003年3月に、右腕の状態が不完全ながらも復帰戦を行い、ダン・ヘンダーソンと対戦、見せ場は作ったがKO負け。 さらに、この試合の直後に左目が網膜剥離になり、大山は表舞台から姿を消すこととなる。
1年半近い沈黙の後、2004年7月に復帰し、ミルコ・クロコップと対戦。何もさせてもらえないままわずか1分でKO負けを喫する。 この試合で大山のPRIDEでの立場が極めて危ういものとなり、K-1に移籍することとなる。
このように、PRIDE時代の大山は「善戦マン」(見せ場は作るが、最後は必ず敗北する選手の格闘技界での俗称)から脱却できず、また怪我にも悩まされ、悶々としたプロ生活を送っていた。
[編集] K-1、HERO'S時代
K-1移籍後、2004年11月にハワイの総合格闘技大会「ランブル・オン・ザ・ロック」で元プロレスラーのショーン・オヘアと対戦するが、30秒でKO負け。大山は引退を考え始める。
しかし、2005年3月のHERO'Sでヴァレンタイン・オーフレイムに足関節技で一本勝ちし、後が無い状態だった大山は巻き返しを始める。
同年7月のサム・グレコ戦ではKO負けを喫するが、11月のガク・ユンソブ戦、12月のピーター・アーツ戦で得意の足関節技で2連勝。
2006年3月のメルヴィン・マヌーフ戦ではカットによるドクターストップ負けを喫する。
2006年8月のHERO'Sライトヘビー級トーナメントに参戦。一回戦でホドリゴ・グレイシーと対戦し、判定勝ちを納める。これが二度目のグレイシー狩りとなる。
続く2006年10月のHERO'Sライトヘビー級トーナメント準決勝ではメルヴィン・マヌーフと再戦するも、連打を浴びせられ1RKO負け。雪辱を果たすことはできなかった。
[編集] 人物
- 実直な性格であり、すぐに泣く「泣きキャラ」の一面を持つ。(試合に勝つと歓喜の余り号泣し、敗れると悔しさの余り号泣する)
- 座右の銘は、"ALL INTO POWER"(「すべてを力に」)。